“隠君子”都甲斧太郎が勝海舟に告げたこと

幕末から明治にかけて“国造りをした” 勝海舟には、若き日に師と仰ぐ先生がいた。勝は隠君子と呼んだ。「世を逃れて棲む徳の高い人」という意味である。

ぼくは最近ある人の影響で『氷川清話』を読みだした。勝海舟が語った言葉を編纂した本である。江戸っ子のべらんめえ調がすこぶる気持ちがいい。波乱の体験やご意見番としてのオピニオンを、幕末の志士も君子も政治屋もどきも叩っ斬るように語り倒す、痛快傑作である。

たとえば徳川慶喜公に命じられて、長州との講和談判が必要になった。慶喜公は当時内憂外患で、心身症になっていた頃だ。長州の蜂起をなんとか食い止めたいが、幕府には調停役の適材がいない。白羽の矢を立てたのが勝海舟である。そのことを本書で勝はこう語った。

公はなにぶん頼むとのことだから、おれも、よろしうございます、一ヶ月中に必ず始末をつけて帰ります、もしさもなくば、私の首はなくなったことと思し召されよ。(『氷川清話』講談社学術文庫)

と言って、たったひとりで長州に乗り込んだ。宮島の旅館で肚をくくって待っていると、長州の方も内部で話がまとまらなくて、なかなか人が来ない。旅館にはただ老婆がひとり居た。戦争がおっぱじまると思って、若いのは皆逃げたのだ。勝は平然とこう言う。

老婆にたのんで襦袢をたくさん拵えさせて代わる代わる着替え、また毎日髪を結い直させた。すると婆さんがそのわけを尋ねるから、おれの首はいつ斬られるかもしれない、死恥をかかないためにこうするのだといったら、婆さんはただ怖がっていた。

テンポがよくてリズムがある語りは、福沢諭吉の「福翁自伝」に勝るとも劣らないおもしろさがある。三分の一弱のところに「都甲斧太郎」という一節がある。

つこうおのたろう、と読む。都甲氏はもともと幕府の馬乗役で身分の低い者だったが、蘭学を蘭学者の小関三栄に学んだ。ある日、蘭学の本を読んでいると、馬の結石には亜剌比亜護謨がいいと書いてあった。アラビアゴムですね。それを飲ませるとピタリと石が出る。その治療法で大儲けすると、儲けはすべて高価な蘭学書につかった。そして引退して麻布に引っ込んだ。

その知識知見を頼って多くの人が次から次へと訪ねるが、都甲氏は誰とも会わなかった。なにしろ金はあるし、人間嫌いだ。ところがひとり、勝海舟だけが許された。そのくだりを勝はこう語る。

ある人が私にかやうな隠君子のあることを紹介したるにより、ある時、都甲先生のもとを訪問した。それは私の長崎へ伝習へ行く前で、安政元年頃であったから、私の二十六、七歳の時であった。先生は元来隠君子なるゆえ、他の人と言語を交え他人の出入りすることを嫌忌せしが、私を愛して、他の人を同行してきては困るが、お前ばかりならば来なさいと言はれて、月に三、四回づつ訪問したところが、従来先生が原書を読んで得たるところの有益なる事柄はみな私に話して聴かせた。さうして、是非、お前は志を立て、西洋の学術を攻究せよというて、奨励してくれた。(『氷川清話』講談社学術文庫 P110)

今の幕府を維持しようとすると早晩内乱が起きて、国は惨憺たる有様になる、外国に降伏する悲境に陥ることになるだろう、ゆえに「幕府に知られずに」西洋の事情を攻究しなさい、と勝にすすめたのだ。

若き勝だけが、なぜ出入りを許されたのだろう?

その理由は、じぃーっと読んでいくとわかってきた。以下、ぼくの推論•解釈である。

都甲氏は恩師の小関氏を「知識はあるが、その精神はよくない」と言ったそうだ。なぜなら小関氏は、その知識を幕府の反対派を支援するために使って、それが元で自殺した人だ。貴重な西洋の知識を偏った目的につかったのがよくない、幕府を守るとか、尊王だとか、ちっぽけなものではなく、都甲氏は勝に知識をこう使えと言ったのだろう。

斯国(このくに)を守りなさい

幕府も長州も薩摩もない、この国をひとつにしてそれを守れ、お前ならそれができると、若き勝の資質を見抜いて言ったのである。言い切る師も見事なら、言いつけを守った弟子も見事である。この話は出来過ぎのように思えたので、ほんとうなのかと国会図書館に行ったついでに調べてみると、本当であった。「勝海舟と隠君子都甲斧太郎」という小文が「日本古書通信 1053号」にある。研究者の片桐一男氏が実話であると書いていた。古典は人間を読むと実におもしろい。

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