「徳川家康」にある女と男

山岡荘八の「徳川家康」にはすべてがある。読めば読むほどにそう思う。

第一に文章修行に役立つ。キーワード(殺すものは殺される、生かすものは生かされる)ひとつで長編を書きぬくパワーがある。その一行からすべての人物(信長、秀吉、家康とそれをとりまく人物)が造形されている。キーワードのおかげで史実が深く読み取れる。

第二にこの作品は対話劇である。人と人のあいだにあるものを知ることができる。信長と秀吉と家康とその相手の対話がおもしろい。その対話を読み深めることで、人物理解が深まるだけでなく、ひとが何のために生きるのか、また死ぬのか、つくづく考えさせられる。

第三に、したがって、人生修行に役立つ。自分がいかに生きるか、いかに死ぬかを考えさせられる。自分の出来の悪さに気づき、曲がってしまった軌道の修正もはかることができる。今日はその話を少し書こう。

テーマは女と男である。作品には多くの男だけでなく、さまざまな女が登場する。いわゆる「男まさりの」あるいは「男のかげで」という大河ドラマによくあるような描かれ方よりも、一歩も二歩も男に影響を与える女たちが登場する。

そのガイドになる一文が、淀屋常安のつぎの言葉にある。大阪の大商人は、秀吉と家康に気に入られた。かれいわく。

 女子衆には、天から恵まれた三つの大きな力がある。その第一は、色で男を捕える。その二つは妻の座を占め、その三はどっしりと母の座に腰を降ろせる……すぐれた女子はこの三つの力を一つにして男どもの心から手足まで、がんじ搦めにしてゆくものじゃ。(徳川家康第11巻 P333)

色をつかって妻となる。妻になるとは夫の行く末を決める人、という意味でもある。山内一豊の妻ではないが、立身出世をさせるわけだ。いかにしてそうなるのか。淀屋常安はさらにこういう。

 女子でも、とりわけ愚かでは話にならぬがの、まずまず普通の女子ならば、かき抱かれて、内側から見てゆくと男の値打ちはすっかりわかるものらしい。少し賢い女子なら、男などというものは他愛のない、小児に見えるかも知れぬ。(徳川家康第11巻 P334)

女の抱き方で男がわかるーなんだかわかるような気がする。自分の欲望だけで果てようとするか、女とひとつになろうとするか、色欲にすがるのか、もっと高いものにすがるのか。征服されたと見せかけて、実は征服をしているのは女のほうである。

家康の懐刀でもあった本阿弥光悦は、熱い一本気の男である。直情型の兄光悦に、義理の妹の於こうは強く魅力を感じる。なぜなら光悦はこの国の平和のために身を投げ出すように働いていたからだ。それも物欲私欲なく、純粋なる思いから。

 ある一事に情熱を傾け尽くしている人間は素晴らしい。わけても男の場合、それが野心であろうと、技芸であろうと、兵法であろうと、わき目も振らずひとつのものを追いかけてやまない姿に、於こうはたまらない魅力を感じるのだ。(第14巻 P151)

於こうは、ゆえに惚れた大久保長安のだらしない姿(酔っ払って芸妓のひざでうたた寝する)に怒ってこういう。「お前さまは、この天下一大事のときに、ひとの道具に成り果てて、伊達政宗にあしらわれ、キリシタンにもうまく使われ、それでいいのか!」と。於こうにこんこんと諭され、大久保長安は「わしの人生も、先が見えたと早合点をしてがっかりしてしまっていたらしい」と気づくのである。

「わしは良い子になるぞ於こう。このたの忠言で眼がさめた……わしは、わしは、日本国のために、もっともっと、真剣に生きてゆく。なあ於こう……」(第14巻 P151)

彼には金山を支配して、その黄金をつかって世界の海に君臨する交易王となる夢があった。かれは於こうの乳を愛撫しながら、「ごめん、於こう」と謝って心を入れ替えた。

ここで於こうは、たんに叱咤激励をしたのではなく、長安の人生の舳先に火を灯した。それが母になることであろう。母となるとは、いやしい立身出世を越えて、もっと大きな社会のために尽くす子を育てることである。母とは、男どもが乱した社会を善くする存在なのである。だから真の聖人を「マザー•テレサ」というわけである。

ひとは自分を生かそう、生かそうと思っているうちは、自分は生かせない。我執に満ちた自分を発見し、反省し、変われずに苦しみ、そういう自分を恕す。そこまでいって初めて、肩の力を抜き、ひとを生かすことが自分を生かすことを知る。つまり、自分を消すことで自分を生かす。

おっと最後のくだりは少し書きすぎだ。「自分を消す」ことについては稿を改めたい。まだまだ我が「徳川家康」修行は続く。


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