主客転倒

文章というものはひとさまのために書くものである。名声やお金を求めることでもない。じつは、それは自己表現ですらない。そうしようとするからいいものがかけないのだ。ぼくもずっと「自分のために」書こうとしてきた。そこが間違いだということに数日前「心の底で」気づいた。

底のことをすこし書いてみたい。ひとつ、深い真実がある。

ほんとうにひとを愛するとすると、それは自分を消すことになる。

どういうことだろうか。誰しも自分がいちばんかわいいものである。なんといっても自分がかわいい。ひとのためといってもどこか自分を有利にしている。どんなにひとを愛しても、けっきょくは自分の次だったりする。女性なら我が子が、自分と等しいほどかわいいだろう。だが果たして、自分を上回るだろうか?わからない。いわんや男なぞ、我が子より自分がかわいいものである。それが人間である。

だからこそ、もしも人を本気で愛するなら、自分を消すことになる。それがわかったとき、愛し抜くことはとてもむつかしいことがわかる。そのテーマは壮大であり、小論で書くことはできないので、今日はスケールを小さくして考えてみよう。

自分の仕事のなかで、自分を消しているだろうか?とハタと思った。

ぼくはちっとも自分を消してない。消してないどころか自分を前へ出そうとすることもあった。あざとく、そう見えないようにカモフラージュしながら…。それは恥ずかしいことである。それは「売れない」ということでもある。

フリーランス業のなかには、お客様のために徹して徹して、自分の個性を消して消して、ひたすら求められることを実践するプロもいる。それができると人気者になる。写真にせよ文にせよ、使いやすいからである。もっとすごい人は、そのうえで自分の個性またはシグネチャーを、ちょこんと(邪魔にならないように、かといって消えないように)のせることができる。これが真のプロなのだろう。

とてもそこまでできない、未来永劫できそうもない、ではどうするか?良く言えば個性的、実のところ大人になりきれない自分をどうするか?

その答えは「主客転倒」にあると思う。

ぼくが書かせてもらっている医師の話である。その話では医者が主人公なので、その医師の視点から出来事やひととのかかわりを描いていく。一番大事なのは患者であるが、医師と患者の関係は、ストーリー展開上から「助ける者」と「助けられる者」という対置になりがちである。こんな難病を治した、すごい、ありがとう……という。だから多くの医者はふんぞりかえる。だがほんとうのところはちがう。真逆である。

いつも患者が主役で、医師はその人生の脇役なのである。

ある医師が「医療とは地域である」といった。地域に生きるひとを救い、治し、再び人生を謳歌できる支援をする者である。急性期の外科病院、回復期の病棟、維持期のリハビリや訪問看護といった医療サービスが、地域という場にいるひとびとを囲んでいる。医師はそのキーマンであっても偉いわけじゃない。たいせつなのは、患者のために医療資源や看護•介護機能をつなげるひとなのである。

そこに気づければ、患者の治療も、患者や家族とのコミュニケーションも、すべてが変わる。日々の診療も、手術も、薬も、健康管理も、変わるだろう。治すということへの方法が変わり、人生をどう生きたいですか?という質問が患者にできる医師になるだろう。

文章を書く仕事に置き換えて「主客転倒」をしてみよう。それは、読者が主役で、書き手はその人生に奉仕する人である。かつて詩人中原中也が「愛するものが死んだときには 奉仕の気持ちに、なることなんです」と詠ったように、自分は奉仕するものだ、奉仕するものだ、といいきかせるわけです。そうするうちにだんだん「自分は脇役」という姿勢になっていく、と期待するわけです。そのとき、ほんとうに心を打つものが書ける、と予期するわけです。

おのれをさっと消せる消しゴムでもあれば、さっと消せるのでしょうが……^^;

爆睡中…


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