信ずるものがあれば、救われる。

読書好きの亡父が言っていた。「物書きというものはギリギリのところからいいものが生まれる」。そのあとにこう付け加えた。「当たったら当たったで、どっと仕事が押し寄せて、潰されていく」

最近、そんなことがあった。当たったわけじゃない。ちょっと多めに仕事しただけだが、二進も三進もいかなくなった。かつてない苦しさ、「心に力が入らない」のだ。どうやっても、心のギアが動かなくなった。

ネタ整理でまとめるだけなら相当量ができる。だがぼくが書いているものは詳細な調査があり、事実から読み取る洞察があり、事実と事実を組み合わせて、「準創作」をしていく。見方を変える作業がある。けっこうつらい。つらいゆえにそれが重なるとなおつらい。

心に力が入らなくなって、ずーっとただぼやーっとした。イライラして叫んだことも何度も。ヤバイと思ったのはドラッグストアに入ったときだ。洗剤と歯間ブラシとお菓子を抱えて、店の中で立ち止まって、ふと思った。

これ、支払らうのだろうか……?

支払う、という行為が心に浮かんでこなかった。あーこれだな病気で万引きするっていうのは、と気づいた。この症状をなんと名づければいいのか?やはり、うつなのか…いやうつとまでは言えないだろう……

話は飛ぶが、1962年に築地に国立がんセンターが設立され、全国から気鋭の医師や研究者が参集した。がん撲滅に向かって知識と技を出し合った。胃がん研究会では世界に先駆けた胃がん分類を創る熱気があった。その輝かしい一歩の日々、初代総長の田宮猛雄氏が病に倒れた。開腹すると手の施しようがない胃がんである。がんの本人告知もない時代だから、世間にがんと発表もできない。マスコミは病状を説明せよと迫ってきた。病院幹部は悩んだ末にこう発表した。

田宮総長は“前がん状態”であるー

がんにはまだなっていないが、なる危険性があると、医学にはない表現でマスコミも総長も騙した。結局田宮氏は翌63年、がんの最前線で憤死を遂げた。

何が言いたいのかといえば、ぼくは「前うつ状態」だった。がんのステージ3や4といった手遅れな段階ではなく、「うつ一歩手前」。そのことばがいいたくて余談がすぎた。どうもすみません。しかし「前うつ状態」は続いた……

丸二日休んだけで仕事を続行したせいもある。心が窮屈なままなんとか前進。最後は心のギアを外して空転させて、「ぼくは坂の上に立っている、惰性で降りていける」と自己暗示をかけて、転げ落ちるように仕事をやりきった。それから数日、今日に至るまで、まだ晴れないものがあった。

ようやく今朝、曙光を見た。御来光?とともに、ことばが降りてきた。それはー

信ずるものがあれば、救われる

信ずるもの、とはなんだろう?ぼくは最初「書くこと」だと思った。書くことが生きるあかしだと思うゆえに。でもなぜかしっくりこない。夜までつらつら、つらつら考えて、さっきようやくひらめいた。信ずるものの「もの」とは「者」、つまり「ひと」ではないだろうか。

そう思ったわけは「徳川家康」である。

ぼくの山岡荘八氏の「徳川家康」の読書は、いよいよ関ヶ原の合戦前夜まできた。第12巻である。そこで家康は当初、越後の上杉謙信を討つと見せかけて北へ動いた。西の石田三成が動きだしたのを見定めて、悠々と江戸に下りた。いざ関ヶ原へと思いきや、なぜか江戸でじっとして動かなくなった。諸将はすでに西で三成と相対している。家康が来れば合戦開始である。来ないので諸将はイライラしていた。そこに家康から諸将に伝令が送られた。伝令は家康のことばを告げたー

おのおの方、なぜ手をこまねいておわすや。おのおの方は家康の家臣にあらず。味方でござる。存分に戦えばよかろう。家康も共に戦う。

こう伝えた。家康の家臣ではないーというのは深慮があるが、それは省いて、「信じる仲間たちよ、共に戦おう!」と鼓舞したのだ。信じるがゆえに平等であるとメッセージを送ったのだ。家康は人を信じた合戦をしたから、大一番で勝てた、という話である。

仲間を信じるものは救われる。信じられないものは救われない。

肩に力を入れず、ひとを信じて共にやる。任せるところは任せる。ひとを受け止めてから自分の良さを加える。ここは自分の仕事だと思うときは、自分から始め、それから渡してもっとよくしてもらう。すべてにおいて自然な流れをつくる。

それは「仕事の渦中」にあってはできない。「仕事の上」にいなければできない。上からみれば、この仕事は出方次第でいこう、この仕事はここをおさえておこう、この仕事はあくまで我を通そう、などと見定められる。そういう見方ができれば、もっといいものができる。

だが文章を書く作業は自分だけ、孤独なものである、というだろうか?そういうところもあるが、そうでもないのではないか。なぜなら、読むひとは仲間である。仲間を信じないものが、仲間に読んでもらえるわけがない。

以上、ぼくに降りてきたひとすじの光を紐解いた、という話でした。まだあちらとこちらに行ったり来たりかもしれないけれども。

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