これはある人の話なのだが、心に力が入らなくなったという。
よくまわりが「白黒になる」「暗く見える」といわれるが、そうはならずに、強いて言えば、心の血色が悪くなった感じだ。ひたすら心が重い。動きようがない。テコでも動けない。まるで心にくびれのような部分があり、そこを足枷のように鎖で繋がれて、ズッシリと重しがつけられた感じだ。自由がまったくない。ここまで心に力が入らなくなったことは、かつてなかった。
体のあちこちにも不調が現れた。頭はずっと痺れて足も痛い。ピリピリという痛みが足の甲とつま先にでた。
見れば足首の内側に細い血管が、こんがらがった蜘蛛の巣のように浮き出ている。調べると「下肢静脈瘤」らしい。血液という細胞は不思議なもので、外に出ると凝固し、内にあると流れる。流れないと心筋梗塞になるので、体が生き延びようと自然にスイッチを切り替えるのだ。
血行不良のせいか、その切り替えがうまくいかない。このままでは長くはないと思って、仕事から100%離れることにした。仕事でつかうMacの電源を丸二日入れまいと決めた。
それが先週の金曜日の夜だ。することがなく(したいこともなく)ステレオのラジオにスイッチを入れた。すると、叩きつけるような英語の歌声が聴こえてきた。どこかで聴いたことがある……いつ聴いたのだろう?
しばらく聴いているとボブ•ディランだとわかった。NHK-FM放送でみうらじゅん氏が紹介した楽曲は「Maggies Farm(マギーズ•ファーム)」。1975年のライブだった。
I ain’t gonna work on Maggie’s farm no more
Well, I try my best to be just like I am
But everybody wants you to be just like them
They say, “Sing while you slave,” and I just get bored
Ah, I ain’t gonna work on Maggie’s farm no more
もうマギーの農場でなんか働かないぞ。
俺は俺らしくありたいんだ。
だがやつらは「みんなと同じように生きろ」と言う。
「奴隷は歌ってろ」と。そんなの耐えられん。
もうマギーの農場でなんか働かないぞ。
曲目は「いつもの朝に」「メンフィス•ブルース•アゲイン」「嵐からの隠れ場所」「愚かな風」…と続いた。どれもディランの叩きつけるような声だ。そのアルバムは『Hard Rain(激しい雨)』だった。高校生の頃にラジオかテレビで聴いたので、脳の底に記憶があったのだ。さっそくネットで注文して、すぐに届いた。
1975年という年は、すべての文化が燃え上がり、同時に滅びていった時代だ。74年から始めたディランとそのバンド(グアムという名をつけた)の「ローリングサンダー•レビュー」ツアーは、アマチュア演奏家や詩人まで同行した。みんなでバスに乗って、行き当たりばったりで演奏会場を決めて、チケットを刷って売ったという。なぜディランはそうしたのか?
おそらく理由はこうだ。ローリングサンダー(原意はインディアンの祈祷師の名)とは“北爆”という意味のスラングである。グアムとは米軍の爆撃機が北ベトナムへ爆撃するために飛び立った基地だ。75年はベトナム戦争の終わった年だ。なぜディランは「ツアー」と言わず「レビュー」と言ったのか?レビューとは「批判」という意味だ。それはディランなりの反抗のメッセージであった。
だから全ての歌に、叩きつける怒りがあった。おかげでぼくの心にひとつの炎が点った。
とはいえ、脳はまだズーンと痺れていた。さらに、この間に見聞きしたニュースは悲惨だった。
お笑い芸人はネタを準備してステージして、丸一日働かされて1日2000円のギャラだという。「1円ギャラ」という絶句を超越する例もあった。レースクイーンは遠くのレース場まで出張して丸2日間クィーンして8000円だという。アニメスタジオの放火では、アニメの現場の低賃金労働が思い起こされた。自分より苦境の人がいっぱいいた。一方、参議院選挙もあった。底辺の弱い存在を救うために、政治は何かしてくれるのだろうか?これほど無意味に感じた投票はかつてなかった。
弱きを救うために、もっと書かねばならない。心の重しを取らねばならない。ぼくの「ローリングサンダーレビュー」を開始しなければならない。子供達を救う話と、愛を救う話と、世界を救う話を書かねばならない。
そう考えると、だんだんと「戻って」これた。まだ心の重い方へ行ったり来たりしているし、頭は依然として痺れているので、もう手遅れなのかもしれないが……^^;
猫も「コイツ長くないな…」と見破っている。ご飯くれなかったらどうしよう…と。わかっている。
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