白い巨塔の中にある心柱

山崎豊子氏の「白い巨塔」を読了した。1965年の最初の刊行は、誤診をめぐる裁判で財前教授側が勝訴したところで終わる。その後が読みたい!という読者に押されて書いた“続編”は1969年の刊行で、今年はちょうど「白い巨塔50周年」である。図書館で全集を借りて読んだ。

多くの人がドラマを通して知る名作であるが、本書を読むと、その筆力に圧倒される。とりわけ手術シーンや裁判シーンは、社会派と言われた山崎豊子氏の独壇場である。華麗なる手術の「技に溺れる者」財前五郎は、最後は自ら末期の胃がんになって「技に裏切られる者」として果てる。最後のシーンはその遺体の解剖だ。財前は自分の死後に解剖を願った。

解剖が行われる浪速大学の剖検室の正面には、こういう文字が嵌まっているという。

屍は生ける師なり

解剖を通じて、病気の進捗や医療行為の作用•副作用、合併症や感染症など、その人がどのような転帰で死に至ったかを、あたかも死から誕生に向かって時を逆転させるように、臓器を調べ、液汁を調べ、組織を調べていく。そこから教わることを治療や診断にフィードバックしていくのが解剖である。

解剖をするのが病理医である。病理医といっても大学の奥で研究に勤しむ研究医ではなく、病院の真ん中にいて、すべての診療科のために血液や組織、細胞の検査を行う「臨床病理医」である。

「白い巨塔」では華やかな第一外科教室の財前教授に対して、地味で学究肌の、厳しい病理学科の大河内教授が登場する。「大河内が癌だと判定すれば癌になり、癌でないと判定すれば癌でなくなると言われているほどの学者」(本書28章)である。

1978年のドラマ版では、田宮二郎の財前五郎に対して、「痩躯で白髪の」大河内教授は加藤嘉が演じた。ハマり役だった。しかしもっとハマっていたのは、大河内教授の弟子である里見助教授役の山本學だと思う。大学からの左遷も恐れず、油っ気のない髪をかきあげ、ひたすら真理を求める。彼は元病理部でその後内科に転じた。

里見はかつての同僚である財前が、名声を求めてアクセクするのを見て、正論を吐いてたしなめる。誤診裁判をめぐっては鋭く対峙する。正義の男である。財前が権威ある国立大学という「白い巨塔を登ろうとする男」であるならば、里見はなんであろう。さしずめ「白い巨塔の心柱であろうとする男」である。

心柱(しんばしら)とは、三重塔や五重塔などの多重塔の内部で、建物を支える真ん中に立つ柱である。地震があろうと津波があろうとブレず、揺るがず、まっすぐに立ち続ける。里見も曲がらず、屈せず、あるべき医療、あるべき大学、あるべき裁判での裁きを求める。

華やかだが虚しい白い巨塔には、心柱があるのだ。

その巨塔に上り詰めようとした財前は、がんに倒れた。手術で開腹すると、手の施しようがないほどがんが転移をしていた。締めて、死を待つしかないと誰もが言った。だが里見はひとり、財前の延命を訴えて、制ガン剤の使用を主張した。鵜飼学長をこう言って説得する。

「鵜飼先生!今はただ財前君の命を1日でも永らえさせることだけをお考えください、財前君の命を永らえさせるために、われわれで考えられるあらゆる方法を尽くし、そしてその上で力及ばなかった時こそ、はじめて癌に対する純粋な意味での現代の医学の無力が解ると思うのですー」(本書33章)

病理医は常に希望を捨てない。最後まで生命を見捨てない。と同時に、幾千人の解剖を通じて、戦い終えた亡骸の臓器を診続けて、虚無を見ているのかもしれない。いや、虚無の向こうに光があると信じているのではないだろうか。だからこそ巨塔は倒れず、立ち続けていられるのだ。

以上、医師インタビュー原稿(ドクターの肖像)を入稿して、いまだほとばしる熱で書きました。

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白い巨塔の中にある心柱” への2件のフィードバック

追加

    1. コメントありがとうございます。
      凄い病理医さんにお会いして、病理というものを知るようになりました。目から鱗でした。

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