文芸のこやしの体系化

卒業して30数年経つ今頃でも、大学とはなんぞや、あれはなんだったのか?と思う。ぼくのキャンパスライフはあまりにも無為空虚だったので、一年休学して南の国に旅に出たのだが、それが良かったのか悪かったのかはさておき、復学しても無為空虚は変わらなかった。

それは英文学部という、大学のなかでももっとも無為な学部のせいもある。自分が文がへたで世に問うものが書けなかったせいもある。仕事としての突破口が見つからなかったせいもある。いろいろ原因はあるのだが、昨日、某医科大学に仕事で出かけて、医学部というのは大学にもっとも似合っているのではないだろうかと思い当たった。

大学とは学問を宇宙のように(Universe)大きく深く学ぶところだ。ようするに学問と卒後にやる仕事が、背中と腹のように表裏一体、惑星と衛星のように共に回るのがいちばんいい。その点医者は、医者になってからも研究やら臨床やら教育やら、医学の進歩に追いつくために学問と一生つきあう仕事である。医学部ほど仕事と学問がぴったりとあう学部は他にない

では他の学部はどうなのだろうか。以下、ざれごと、放言である。

たとえば薬学部は医学部に近いと感じる。製薬会社の研究部門では学問が必要であるし、研究者になればもちろんである。工学部を卒業してメーカーで技術者になれば学問に近いが、やや実学志向が求められる。しかし会社という人間組織に揉まれると学問どころではなくなるかもしれない。建築学部には学問を感じる。構造や意匠といった技術学だけでなく、住まい方や都市計画といった人間学にも。ぼくの中ではこれらは学問に近い学部である。

では商学部や経営学部はどうか、数学や統計や会計など学問があるにせよ、経営とは経験値であり度胸や運である。学問とは遠い要素が多い。資格試験は学問か?お手軽な知識のものもいっぱいある。そもそもSEなぞは文化系出身者が多く、どうも学問が霞んでいる。音楽大学や美術大学はどうか。演奏する技術、描く技術、造る技術は教えてくれても、表現者としての豊かさをどこまで大学が教えてくれるのか?おそらく講師次第、カリキュラム次第だろう。文学部などというヤワな学問もそれに尽きる。

振り返れば、ぼくは大学で英文学をただ読んだり、ただタイプライターで論文もどきを書いたり、英語学知識を学んだりしていた。はっきりいえばほとんど無駄だった。では英会話に比重をおけばいいのか?それは留学するなり、専門学校で十分な気がする。学問ではなく、たんなる道具である。

ではありたい文学部とはどのようなものか?それを考えてみたい。

前回のブログにも書いたが、自分のとなりの仕事には、自分の仕事を良くするヒントがある。今読んでいる「スポーツアナウンサー」(2015年岩波新書)には、東京六大学野球の昭和五年の名放送が収録されている。

早慶ベンチ前、ともに円陣。水も漏らさじと作戦。早慶応援団の応酬交錯。六万観衆の息詰まるが如き沈黙。見るもの語るもの、一段と殺気を含んでおります。神宮球場、どんよりした空。黒雲低くたれた空。烏が一羽、二羽、三羽、四羽。戦雲いよいよ急を告げております。(「スポーツアナウンサー」P17)

ここには実況の技術がある。的確で短い単語選び、早慶ベンチから観客席へ、そして上空のカラスへの視野の切り替え、そして想像力をかきたてる盛り上げがある。この名調子からスポーツ実況は進化し、解説者をおいてスポーツへの理解を深め、データを導入して個々の選手へ興味をかきたて、即時のVTR映像を導入することでプレーの議論やルール論争まで到達した。

文を書くという仕事におきかえれば、文を書く技術がベースにある。文を書くことが表現芸であるかぎり、伝える対象についての知識や洞察、俺はこう思うという思想、先人の文やデータという事実も求められる。伝える相手=読者についてもよく知っているべしである。どう読みたいのか、読んでどうしたいのか。そういう視点は大学教育にはさっぱりない。

文芸の学問とはなんぞや。それは人間を知ること、社会を知ることである。そこから、ぼくの考えた「ありたい文芸学部のカリキュラム」、思いつきの例をあげてみよう。

【文章を学ぶ】
名文をひたすらうつす
名文を分解して構造や表現を学ぶ
文で人間のデッサンを繰り返す

【となりの学問を学ぶ】
アナウンサーの技術を知る
映画製作で助監督の補佐をして苦労する
音楽コンサートの企画運営を学ぶ

【社会を学ぶ】
鐵工所体験、蟹工船体験、漁師体験など過酷な体験をする
究極の断捨離をする
失恋をする

【読者を知る】
予想外のベストセラーの秘密を知る
読者の読み方を知る(意識して速読、遅読、多読をする)
図書館の司書体験をする

【書かれる人を知る】
美大でヌードモデルになる
裁判所で人間くさい犯罪の傍聴をする

ようするに「芸のこやしの体系化」である。体系があるから学問的•学際的になるのだ。こういう大学学部なら創ってみたい。あまりにもムダなので学生が集まる保証はまったくないが……(^^;

過日の南船橋のつつじです。きれいでした。

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