「医学をみる眼」から得た視点

医学概論学者の中川米造氏の「医学をみる眼」を読了した。昭和45年刊の古書には叡智がある。

医療の第一線で働く若い医学者から見れば、大阪大学の中川米造氏の医学史講義は退屈だったかもしれない。だが彼らの“第一線”とはたかだか30年、一方中川氏には、医学の起源から現代まで数千年の歴史を透徹する視点がある。たんなる歴史論ではない。

過去というものは、無意識のままにとどめておくと、それに縛られることがある。過去の呪縛を断ち切るためには、意識的に過去を点検しなければならない。(本書P6)

過去をただ「知るために知るのではなく、変革のために知る」という。たとえば脳死にどんな意見をもつか。あるいは生命科学やAIと医療をどう考えるか。過去を知ればおのずと意見はできる。本書をひもとこう。

始まりは「医学の起源」である。

起源はメディシンマン(呪術医)や魔法医にある。臓物を取り出すトリックのようなものだ。治ればよし、治らねば逃げた。時代はくだってギリシアやエジプトの古代医学時代になると、神殿で治療が行われた。ヒポクラテスなど偉い医療者は少なく、医師の多くは“遍歴医”であった。医療用具を背負って町から町へ流れて、患者を探し求めていた。その逸話をひとつ。

アテネでひとりの遍歴医が、血色の悪い病人らしい男を見つけた。治療をすすめようとその男を追いかけた。すると客待ちの医者が、次々と四人も飛び出し、その男を追いかけた。やっと追いついて五人の医師がいった。「あなたの病気を教えてあげましょう!」。血色の悪い男は立ち止まった。「待ってくれ、私にも何か言わせてくれ!」息を切らせて男はこういった。「私は患者じゃない、医者だ」

ローマ時代の下水道の話もおもしろい。病気の予防に衛生が重視され、巨大な排水設備があったが、尿だけは洗濯業者が集めた。アンモニアを洗剤に使うためだった。古代には建築とリサイクルにすでに医学があった。

病院ができるのは中世の寺院からであるが、元は巡礼者の宿泊施設だった。巡礼者のなかに病気の者がいたので、病院らしき設備ができていった。そもそも「ホスピタル」とは、「ホスピタリス」というラテン語の「お客の」という言葉からきたもので、病気とは関係がなかった。

興味深いのは18世紀以降、近代的な病院と臨床教育がフランス革命から始まったという点である。

革命で大学が解体され、病院も「外科手術を受けた人の半分が死ぬ施設」すなわち「諸悪の根源」とされて解体された。だが革命での戦争の傷病者がどこにも収容できなくなった。それで再整備となって、病気別に改善を図ろうと胸部疾患、骨折、皮膚病など専門病院がうまれた。

医師のありかたも大きく変化した。侍医制から病院医制、開業医制へ、である。

それまでの医師は上流•中流の顧客中心で、訪問をして、主人やその家族を診る「侍医」であった。日本で「御典医」が将軍を診るようなものだろう。それは「ひと中心医学」である。だが病院となると知らない人がやってくる。病気の前歴を聞いて診察して判断しなければならない。そこで「病気中心医学」へ変化していった。慢性病と急性病での区別や、解剖学的に全身病と局所病に分ける(頭、胸、腹…など)、原因別や症状別にみる、などが生まれていった。

聴診器の発明はこの頃で、コルビザールは、診察前に美しい婦人の肖像画を見て、「この病弱そうなご婦人の胸に直接耳をあてるのはいかん…」と思って、悩んだ末に聴診器を発明した。だが実際にやってきたのは「肥満した娘」だったとカルテに書いた。

ハッとしたのは「教室」という呼び方である。

日本でドイツ医学が珍重されたのは明治政府の無知からだったが、フランス臨床学派方式では、医学研究は患者のベッドと死体解剖室から生まれる。一方ドイツ方式は、教授がスタッフと共に研究室で行った。それが現代の日本の医学部の“教室”という呼称につながった。確かに大学院で教室という名前は変だ。医局室はあっても「教室」はないし…。

そして中川氏はこう締めくくる。

現代医学が誤っているとすれば、その機械論的な思考法においてであり、局部的現象にのみ目を囚われすぎて、全体を軽視する傾向にある。(本書P193)

この反省から、専門から総合へという流れが医療に生まれた。さらに今、細胞再生医療という「微小な局部医療」が医療を一変しつつある。部分の医療が生命の根源に近づくことは、新たな全体視点と言える。

本書から「すべてを見渡す視点」を教えられた。時間軸を貫く視点、医療の発展を俯瞰する視点、そこに生まれる問題を熟思する視点、医療者の深浅を見抜く視点である。もっといえば、「身を正される視点」であろうか。良書を読みました。

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