NTT docomoが携帯「値下げプラン」を発表した。僕の毎月費用もそれぇ!下がれぇっ!とギガライト2980円へ変更だ!と思えば、今の支払いは3280円とほとんど変わらないぞ…^^; こりゃサギだ、こりゃポーズだ、機種代金残額の分割払いが終わったらNMPを考えよう。
そもそも昨年来、スマートフォンからの離脱を考えている。理由は高い料金だけではない。スマフォの奴隷になっているからだ。気がつくとスマホをいじっている。疲れるとスマフォに憩いを求めている。道はスマフォを見て歩く。天気も空を見る前にスマフォに聞く。計算もスケジュールもリマインダーもスマフォ頼みだ。もうSNSはほぼ離脱したが、それでも時々コメントを書いては自己嫌悪におちいる。そんなエライこと言えるのか、相手の気分を害したかとか。さらに、僕にとってもっと大切なことが影響を受けている。
感•勘•観が鈍っていないか?
感とは感性を磨き、感動することである。
勘とは空気や心を読み、道を選択をすることである。
観とは人や自然を観て、人生を知ることである。
スマフォへうつむいて、不感•鈍感•狭眼になっていないだろうか。残された人生の時間を無為につかっていないか。だがなかなか「捨てる」まではいかない。さてどうしようか……。
閑話休題。先日、久しぶりにリサーチをした。江東区の木場にある東京都美術館美術資料室に出かけた。ある仕事でアート関連の英文雑誌を閲覧しにいった。英文の雑誌にうもれ、端末から書誌を横断リサーチした。
情報収集といえばインターネットとなって久しいが、僕はもともとはマーケティングリサーチャーである。20年前まで東京中の専門ライブラリーを歩き尽くし、資料探しの鬼であった。ライブラリーに出かけて資料をリサーチするのは王道である。ネットの情報収集なぞリサーチとはいわない。たんなる情報の破片あつめで、聞いて答えてくれるアンサーマシンだ。安易に頼って自己能力を過信するが、実は情報に翻弄され、踊らされているだけだ。
本当のリサーチにはカタルシスがある。仮説の構築、仮説の検証、仮説が正しかった喜びである。それがネット時代になって失われた。
僕はバーチャルな世界は世界に通じると思ってネットを泳いできた。だがインターネットなぞしょせんは情報操作社会である。自分はネット操作する人であるという思いなぞ幻影にすぎない。巨大なデータベースや情報ノードの奴隷として、ただ働かされているだけではないか。僕は狭い世界に閉じ込められてきただけではないだろうか。
広大な木場の公園で、鬼ごっこをする子供達を見ると爽快な気分になった。
といって仕事もあるので、ネット社会から完全解脱できないのだが、「減らす」ことはできる。そのときまずスマフォが第一候補になる。解決策とまでならないが「自分のスマフォをコモディティ化する」のはどうか。あたかもバッグや手帳、財布のような、ひとつの道具にしてしまうのだ。道具だからへたれるまで使う。電池交換して壊れるまで使う。壊れたら中古を買う。自分で決めた最低限のことだけスマフォでやって、それ以外はやめて「手帳」を復活させる。手書きを増やし、本や雑誌を読む。これならできる。
と、そこまで考えたあと、昨夜はベトナム人留学生の就活支援講座の講師の日であった。演習のテーマは「日本の社会問題」の個人スピーチである。日本で暮らして問題だと思うことを語るのだ。「少子高齢化」「残業」「未婚者の多さ」「空き家問題」「がん」「食品ロス」など、さすがみんな良いテーマを選んでくれた。その中で「自殺」というテーマで語った女子がいた。
世界172カ国中18位の自殺大国日本。なぜ自殺が多いのか?彼女はコンパクトにまとめてくれた。
1)独身が多いのでコミュニケーションが少ない
2)仕事のストレス、リストラや倒産の恐れ
3)夫婦が共働きやすれちがいのせいで相談がすくない
4)子供の自殺はいじめと先生の無理解でひとりぼっちだから
解決策は二つあげてくれた。
1)夫婦がお互いに愛し合い、子供を愛すること
2)宗教をもつこと
問題の根本は「家庭に愛が足りないから」である。僕の実家にもなかった。だから僕も家庭で愛をもちえなかった。これらとは別にもう一つ重要な解決策があるが、それは僕の今書いている創作のテーマだ。そして「モノからの解決策」を二つあげておこう。
1)家の中に壁をつくるな。個室よりも大部屋を作れ。
2)スマートフォンの使用を少なくせよ。
人と人のスキマを増やすものはなるべく減らしたい。それでもあなたがスマフォのコミュニケーションが真のコミュニケーションというなら、それは仕方ない。
コメントを残す