人工透析のDを最終ステージに入れる意味

CKD(慢性腎臓病)の第一人者からの受け売りをしたい。腎臓内科医の塚本雄介医師、板橋中央総合病院内科統括部長のインタビュー記事の一節である。

 2002年に別の療養型病院に移ると、和らぎだした塚本氏の顔に深みが刻まれてきた。
「ゆっくりとした時間が流れていました。そこで99歳の入院患者を受け持ちました。体は動かせずに寝たきりだけど認知はまったくなく、意識も鮮明なら記憶もしっかり。若い頃に品川の海水浴場に行った話をずいぶんしてくれました」

 品川の入江から愛宕山が見えた頃である。息子を連れて遊んだ日々を回想するが、今ではその息子が通帳を握って自分にはお金を持たせてくれない。知人も家族も一人ずつ死んでいくと老女は嘆いた。
「ただ長生きをすることがいいのか、満足して終末を迎えられることが大切なのではないか」と考えた。

年間死亡率を見ると、日本では慢性腎臓病の最後のステージ、1年間に透析期の患者の9%が亡くなる。この数値は、人工血管や透析用カテーテルを多用するアメリカの30%台、欧州の10数%台と比べても好成績である。日本の自己血管内シャント技術が高く、穿刺治療も丁寧に行われるため、血管が長持ちして合併症を起こしにくいからである。


「透析期に入ると平均寿命は5年です。人生の最後の最後のステージをいかに生きるか、治療を受けるか受けないかも患者と共にじっくりと語り合いたい。ただ臓器を治せばいいわけじゃないですから」

 だから塚本氏はCKDの最終ステージに“D”を入れることにこだわったのだ。

(「ドクターズマガジン 」2019年2月号の“ドクターの肖像”より。執筆者は私(郷好文))

欧米やアジアの腎臓学会を日本代表として奔走し、得意の英会話で激論(Controversies)して、CKDの定義と重症度分類を作成する一役を担ったのが塚本氏である。CKDという名称をアジアや日本に普及させてきた。

なぜこの記事を紹介しようと考えたか。それは、公立福生病院での慢性腎臓病患者の透析治療中止が適切だったかという問題が報じられているからだ。このケースについて意見できるわけでもないし、する気もない。「中止する」ことはもちろん医師が独断で決められないし、患者をミスリードすることはあってはならない。そうであれば問題である。一方、人工透析について報道には欠けている視点があると思う。

透析に入った患者100人のうち9人が毎年死去しており、その平均寿命は5年である。それでもこの数値は欧米よりはるかにいい。理由は日本の透析技術の高さにあると言われる。薬物療法も透析治療も進化しているので、平均値以上長寿を保つ人もいれば、そうできない人もいる。腎移植という手段が取れる人はごく一握り、幹細胞治療で腎機能を回復できるとしてもまだ将来のことである。これが現実である。だから透析治療にあたる医師がジレンマに悩み、無力感につつまれつつ、患者に勇気を与えている。これもまた現実である。

考えてみれば、誰もが寿命と背中合わせに生きている。慢性病はそのうちのひとつ、不慮の事故だってある。そもそも人には定められた寿命がある。それを生き抜くことがまず第一である。そして不幸にも病気になったら、現代医学から示された「最終ステージ」をいかに生きるか考えることも大切である。別の消化器外科医の言葉を引けば、がんの患者も同じである。「あなたはがんです」と宣告されると100%の人が落ち込む。だがしばらく時間が経つと、ほぼ100%人が残された人生をどう生きるか考えだす。死を前にすると強くなるという。

最後に、引用文の「CKDの最終ステージに“D”を入れることにこだわった」というくだりの解説をしておく。D=透析(Dialysis)のことである。欧米では透析には重点を置かなかったので、当初の重症度分類案には「Dがなかった」。そこに塚本氏は、日本には透析があるという主張をして、Dを分類案にねじ込んだ。それは日本の技術を海外に広め、世界の透析技術を向上させる一因になってきた。そういう努力を医療者はしているという事実もある。

 

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