子供のために

ただ児童相談所を増やせばいいという話ではない。担当者を増やせばいいという話でもない。現場で疲弊している相談員には感謝を贈るけれども…

小学校4年生の虐待死事件で、親の非道ぶりだけでなく、相談情報が漏れたり、情報の引き継ぎがうまくいってなかったことが報道されている。そこでこの記事「「人間のできる仕事の範囲を越えている」当事者が語る“児童相談所”の実態」である。児童福祉司が不足しており、手が回らない実態を伝える記事だ。やっぱりな…と思った。これは大人なら誰でも読んでおかねばならない。

児相を増やすこと、児童福祉司を増やすことには賛成である。ただ僕は、同時にそれは問題の核心ではないこともよく知っている。それはどんどん燃えあがる家を前にして、ただ火消しを増やすだけである。ケースによっては油を注ぐことにもなる。児相では追いつかない現実だっていっぱいあるからだ。

では核心は何か?それを先に書いておこう。もちろん「家族」である。子どもをちゃんと育てない家族が増えている。家族こそが問題の根幹である。

子供の生命へ危険を及ぼすような親、子供の心が理解できない親、育てられかたに問題のある親、子どもとコミュケーションできない親、だから閉じこもる子、心身が不調になる子、学校に行かなくなる子、成人しても自立できない子が増えていく……

家庭に真の問題がある。それをテーマに書いたのが小松先生との共著「家族医」である。核心から、根っこから絶たなければいけないから、いっしょに本を書いた小松信明医師はよくこう言っていた。

あいにく児相や学校では(子の心を)理解できる人が少ないんです。問題は家庭にあるんです

小松医師の医療は精神分析であり、カウンセリングであり、それで一家族ずつ救ってきた。とても地道な作業なのである。彼のベースにあるのは「子供の心を理解する」こと。それに尽きると思う。ただ児相に人や予算を増やせばいいわけではない。それは「これだけ対策を打ちました」という大人の考えに過ぎない。

僕が愛読する少年少女文学にエーリヒ•ケストナーがある。昨年来、この作家にこだわっている。代表作のひとつ、「飛ぶ教室」でケストナーは、正義の人、子供の心をわかる先生である禁煙先生にこう言わせている。

わたしは諸君におねがいしたい、きみたちの子どものころのことをわすれるな!と」(エーリヒ•ケストナー「飛ぶ教室」高橋健二訳)

この一文で僕にはすべてが見えた。子供の頃のことを忘れた大人たちが真の問題なのである。ケストナーは、「わたしが子どもだったころ」の最初の章のタイトルをこう書いている。

親愛なる子どもたちと子どもでない人たちに!(エーリヒ•ケストナー 「わたしが子どもだったころ」高橋健二訳)

子供でない人たちが問題なのである。子供の心を忘れて、不正をしたり、暴力を振るったり、嘘をついたり、同情できなくなったり、そういう大人がいっぱいいるから、子供は傷つき、反抗し、落ち込み、疎外され、消えていこうとするのだ。子供の心をわかる人がいっぱいいる社会をつくらなければ、燃えあがる炎の前に立ち尽くすだけである。

思えば僕はそういう子供の心の周りをずっと歩いていた。

先日、J.D.サリンジャーの遺作原稿が見つかって、その出版が計画されているという記事があった。サリンジャーは「ライ麦畑でつかまえて」「ナイン•ストリーズ」などで、反抗する子、自殺する子の心の揺れを描いた作家である。僕は何回も何回も読んだ…というのは、サリンジャーは僕の卒論のテーマだったからだ。というのは、結局僕はサリンジャーが書いたライ麦畑からこぼれ落ちる子供たちの一人だからだ。その捕手でありたいとずっと思っていたからだ。

だから僕は、いい年してるけれど、ケストナー文学に触れてその真髄が響いた。それはまだ僕には子供心とのタッチが残っているからだと思う。

だから僕は子供たちのために書く、それはきっと大人たちのためにもなる、それを書かねばならない、きっと神様は書かせてくれる。今朝、そう思いながら目が覚めた。

いつぞや作ったほうれん草入りオムレツ。

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