2019年1月5日、兼高かおるさんが永遠の旅に出た。享年90歳。美貌と「〜でございますの」という上品な語り口が忍ばれました。
「兼高かおる 世界の旅」は1959年のスタートなので、僕の記憶にあるのは70年代から80年代、番組は1990年まで続いて、結局150カ国を周った。懐かしくなって彼女の本を読んだ。「わたくしが旅から学んだこと」兼高かおる(小学館2010年)、最後の著書である。
Los Angeles City Collegeに入学したが、頑張り過ぎて身体を壊して中退。めげることなくJapan Timesの記者になった。その取材で、早周り世界一周中のアメリカ人ジョセフ・カボリー氏に、日本来航記念の人形を手渡した。カボリー氏は89時間18分37秒で世界一周の新記録を樹立した。ところがそのとき、兼高さんはスカンジナビア航空が東京―コペンハーゲンの新路線(アンカレッジ経由の航路)を新設したことを知る。
「これに乗ったら80時間を切れる!」
と閃いて、1958年に東京→マニラ→カラチ→ローマ→チューリッヒ→デュッセルドルフ→コペンハーゲン→アンカレッジ経由で東京へ。航空機による世界一周73時間9分35秒、新記録の樹立である。著書には「このプロペラ機による世界一周記録、今も破られておりませんの」と彼女は澄まして書いている。それもそのはず、その後の世の中はジェット機時代になったから、というオチが茶目っ気でした。
しかしその冒険からラジオの仕事を得た。世界の著名な人に話を聞く番組である。15分の番組だがインタビューは2時間もかけたそうだ。それが好評で、テレビの仕事「兼高かおる世界の旅」につながった。彼女は今どきのヤワいリポーターではなく、あくまで取材者である。調査ノートは分厚く、現場ではカメラマンを叱咤し、戻れば撮影テープの編集もした。記者魂があったのだ。
パンナムがスポンサーでしたね。32年続いたこの番組の終わりがどうだったのか。彼女はTBSに「中休みをさせてください」というつもりが「中止させてください」と言ってしまったと書いているが、30年以上がんばって当時62歳、ちょっと疲れて第二の人生へと考えたのだろう。
その後の章に「人生三分割」の話がある。こんな内容だ。
「最初の3分の1はあとで世の中のために役立つようなことを習う」
これは学生時代のことだ。彼女の場合は英語と留学でした。
「二番目の3分1はそれを土台にして世のため、人のために尽くす」
これはまさに「世界の旅」150カ国への取材と紹介だった。
「最後の3分の1は自分の好きなように使う」
彼女にとってそれはやっぱり旅することだった。自由に旅して自由に伝えてきた。結局「行ってみたい」が彼女のコアにあった。
人生をどう区切るかはその人次第、環境次第だが、大事なことは「自分の気持ちに自然に生きる」ことだと思う。せっかくの人生、イヤなことよりイイと思えることをしたい。自然にやれること、時間がいつの間にか経っていることがそれ。また彼女が道を切り開いたように「機会に飛びつく準備」はいつでもしていたい。誰かから「これをしてみませんか」とオファーされた時、それは天職につながっている。自分の才能はおうおうにして自分ではわからないから。
もうひとつ、「心の前提バリアを覆す」ことが大事だ。昨夜、非常に小さな決心をした。それは「夏前にmacbookを買う」。
というのは我がアパート、南側の部屋と北側の部屋と2つある。夏に仕事するなら北側がいい。理由は「車の走行音」。南側の部屋が面する道はけっこう車が走る。時に卵でも投げたくなる。北側の部屋は静かなので窓を開けていても集中ができる。しかしデスクトップ型のmacを南の部屋にドーンと置いており、夏と冬にPC設備の大移動は大変なのですよ…
だがふと「なあんだ、もう1台macbookを買えばいいのか」と思いついた。
貧乏だし、Windowsマシンはあるし(ほぼ使わないが)、もったいないし…であるが、今年の僕のテーマは「速くたくさん書く」。売れる文を書けば投資金もできるのだ!と心に火がついた。
つまり「今はこうだから、こうしかできない」から脱却する。「こうしたい、そのために何をする」という気持ちの転換が大事である。すると、ひょんなことからmacのキーボードが手に入った。これが非常に使いやすい。もう1台買う準備が整ったので、さあもっと書きます!兼高かおるさんからもたくさん学んだ。
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