年末年始の仕事で、慢性職業病の腱鞘炎がひどくなった。チクチクシクシクズキンズキン…こんなにひどくなったことはない。マウスの使いすぎで人差し指と薬指が崩壊した。
腱鞘炎の原因は「関節の使いすぎや老化」とある。とほほです…^^;
そこで「腱鞘炎対応マウス」を見比べて、サンワサプライのエルゴノミクスマウス「400-MA092」を買った。手を自然な姿勢と動きにするという人間工学でつくられたマウス、これが実によくできている。
2480円のマウス(Amazonでは2980円)は僕が自腹で買ったマウスの中では最高額だが、これでよくなるなら安い。
ご覧の通り、右ボタン左ボタン、クルクルスクロールが斜めにつけて、つまりマウスを斜めにして台座に乗せただけである。
これなら手持ちのマウスでも改造できそうだ(ただ斜めにすればいいのだ)。もっと安くついたかもしれない。いや、元々改造を前提としていないから、もっと高くついたかもしれない…と思っていたとき、日経の論説「何のための五輪? 数字合わせでなく本質の議論を」を読んで、なんだかつながったものがあった。
この論説は、2020年東京五輪・パラリンピックの最新版の予算について、「レガシーとして活用する施設は開催経費に入らない、レガシーとしても活用されるはずの新国立競技場は入る、としている点をおかしい」と指摘している。後に使う(レガシーはそういう意味らしい)から五輪予算じゃない、でも新国立競技場の予算は、隠すと国民がうるさいから、レガシーだが費用計上しておいた、その結果1兆3500億円に収まった(本当はもっと大きい)。オカシナ予算書だ。
2020年東京五輪には、50年前の五輪にはあったテーマ(国の成長)がない。今回は何がテーマなのだろう。そこがブレてるから反対する人がいるのだろう。
そこでテーマになりうるのが、日経の論説にもある「再生持続社会」である。
携帯電話やPCなどの回収品から貴金属を抜いて、メダルを再生製造するというもの。コストはかかるが、これは重要なテーマである。それを五輪の全テーマに掲げていれば、全ての施設を既存の施設(過去のレガシー)を活用して、もう50年使えるように再整備する(未来へのレガシー)という一貫性がもてた。未来は使えないなら最小限の改造で済ませばいい。それなら多少コストが張っても、国民は納得ができたのではないだろうか。
だがマウスが後から斜めにできないように、国立競技場も後から大きく、新しい五輪仕様にできない、だから作り直しが必要だといわれた。ほかの施設も同じだ。しかし、たかがスポーツイベントである。何か妥協すれば、整備はできたのではないだろうか。
ところが建設産業や素材産業、宿泊産業、飲食業…など経済を振興させるのが政府の真のねらいである。東京都も同じ考えで、都の研究発表ではレガシー効果やドリーム効果とかいうもので、30兆円の経済効果があるという。たった数週間のスポーツイベントが30兆円になるわけがない。むしろ「五輪不況」は必ず来ると言われる。もう始まっているかもしれない…
これからもっと厳しくなる縮小国家日本、これまでのようにスクラップ・アンド・ビルドではなく、今ある社会資産をリ・デザイン、リ・ボーンさせてるのは重要なテーマである。その意味でも「レガシーを使う」というテーマはスポーツイベントだけでなく、公共投資や建築行政に全て反映させていくべきだと思う。
なにしろ僕を含めた中高年・高齢者は、老化していく肉体を持続させつつ、レガシーとして生きていくしかない。それが高齢化社会だ。僕は2020年五輪にボランティア登録もしたが、老化で参加できなくなったらごめんなさい…
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