コントロール

心身のコントロールは手ごわいものだ。それでも若いうちはまだたやすい。体はしっかりしているので、心の問題にフォーカスすればいいのだから。たとえば目標を立てる、それに向かって努力する、やる気を出す、アンガーマネジメントする、イジメに耐える…など、前向きに「変わろう」とすることがすなわちセルフコントロールである。

ところがある年齢をすぎる頃から、「変わらないこと」がコントロールになっていく。

体の無理がきかなくなる、疲れやすくなる、疲れがとれにくくなる、慢性病になる…など体が変わってしまうのだ。街角のであいがしらで「近頃ねえ…」なんて健康話をしだしたら不健康のしるしである。体のコントロールと心のコントロールの両方で忙しくなるのが高齢化である。だからなるべく元に戻るようにしなきゃならない。

そこで僕は、春先から細マッチョ化を目指して腹筋運動を始めた。体重は3-4kg絞ったし、ささやかなマッチョ化も腹部に見える。さぼっていた緑内障治療の点眼も再開し、2ヶ月で眼圧を1.5ポイント下げた。昨冬非常に悩まされたシモヤケが今冬も再発したが、室内運動の強化とワセリンで克服できた。先月から始めた花粉症治療のシダトレンが、来春の花粉症を軽くしてくれることを祈っている。

それぞれ小さなことだけれども「コントロールできる」のはうれしいものだ。変える、までいかなくても、食い止められるならよしとしよう。

しかしなぜコントロールするのか?と考えていくと、微妙な問題に突き当たる。

最近、僕はめまいがすることがある。

国会図書館の回廊で二度ふらっとしたのは、本の紙粉を吸い込んだせいにした。スーパーを出たあとふらりとしたのは、財布から羽根が生えたお札のせいにした。家でもふらっとしたのは、猫の毛玉を飲み込んだせいにした。にわかに不安になり、ネットで原因をさぐると、偏頭痛か耳の病気か脳卒中の前兆か…とある。脳卒中や心臓血管ならポックリである。

よく人は「ポックリがいい」「ジワジワはいやだ」という。ぽっと死んだ方が誰にも迷惑をかけないからというけれど、ポックリ逝って幼子を残し、猫を残し、仕事も途中で、遺言書もないとなると、困るのは家族である。自分だって思い半ばがきっとあるだろう。

そこで、あるがんの名医は「がんでジワジワ死ぬのは悪いことじゃない」と言う。

がんでは明日、明後日に死ぬことはなく、来週再来週ということもありません。死までまとまった時間があるので、覚悟を決めて身辺を整理し、すべきことをして、逆算して迎えることができる。痛みも尊厳を保てるようになってきました。

つまり「死までをコントロールができる」のだと。死自体はコントロールできないじゃないかと言うなら、それは誰にもできない。いかなる名医でも治せないがんはまだいっぱいある。ただし、がんと宣告されたら100人中100人が頭が真っ白になるという。落ち込んだりうつになったり。それはそうだろう。ただし、と名医は続ける。

私は2000人以上宣告してきましたが、立ち直らなかった人は誰もいません。

強いから?諦めるから?ほんとうのところはわからない。だが宣告された誰もが、立ち直るまでの時間の長短や、立ち直り方の高低に違いはあるにせよ、立ち直るのだという。ぐちを言うのをやめて活動的になる。抱いていたコンプレックスを笑い飛ばし、トゲが無くなっていく。ファッションを楽しみ、笑みをたさなくなる。仲違いしていた親と旅行をし、姑と仲良くなろうとする…かな?(笑)

そうなれる理由は「コントロールができる」からなのだと思う。「終わりを知る」のは「ゴールが見える」ということである。ゴールさえ見えれば、あとはそこまでの道のりをコントロールすればいいのだ。

僕のめまいも別に宣告されるようなことはないだろうが、さぼっていた健康診査を申し込んだ。ともかく腹筋も眼圧もシダトレンもシモヤケ対策も、寿命までしっかりやればいいのである。誰もが常に寿命の出口に立っているのだから。来年は崖っぷちを歩く思いで再挑戦したいと思っている。

…と、来年を迎える前にはまだシングルベルがあった…^^

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