「園芸家12ヶ月」は「人間12ヶ月」でもある

庭には植物の生命がある。その生命を生かすも殺すも園芸家次第である。

アパートのベランダで猫草栽培家の僕が、園芸家の本を読むのは不思議不敵であるが、チェコの文豪カレル•チャペックの「園芸家12ヶ月」は土底深く奥行きがある。

本書「4月の園芸家」の章から小文を抜いて前回のブログを書いたが、無論4月で終わりではない。チェコの寒い12月まで園芸家は休みがない。以下、本書をあらましを月ごとにまとめよう。

1月という月もけっしてひまではない。シャベルを取ってカチカチの土に挑むと柄がへし折られる。鋤もまた返り討ちにあう。では鶴嘴(つるはし)はどうかといえば、振り下ろすと、去年植えたチューリップの球根を叩き割ってしまう。仕方ない、ダイナマイトで吹き飛ばそう…と思っても、園芸家はダイナマイトを持っていない。2月になるまで待とう。

2月は土壌改良月だ。道端の馬糞をステッキでつついては庭に差し込む。糞のみにあらず。藁に石灰に燐肥、硝石や水やマッチの燃えかすまで放り込んでいく。いかなるプディングよりも土壌の調製は微妙なのだ。しかし寒い2月よ早く終われ、閏年の1日分を2月につけるなんて愚行だ、5月につけて32日とせよ。

3月は土よ目を覚ませ!の月であり4月は芽だ。シャベルを入れるたんびに芽をかいてしまう。ハッとしてうしろに下がると今度は足で花を踏みつぶす。切っても踏んでも冷静な園芸家に私はなりたい。雨を待望する5月、草刈の6月も忙しい。重要なことは「キイチゴ禁止令」を通達することだ。キイチゴを隣家の庭との境に植えてはならない。なぜか?そやつは深く地下を這って、垣根も壁も鉄条網も塹壕も「立ち入り禁止」の札もかいくぐって、隣家の庭にニョキニョキと芽を出すからだ。おい、なんとかしてくれ。

7月はひっきりなしに何かが咲いては何かが枯れる。だから水やりだ。水も滴る好男子はホースとのダンスで水びだしになり、蛇口と庭の間をジョウロ運びの大運動会をする。ヘトヘトになって町の植物に思いを馳せる。パン屋、銃砲店、自動車販売店、農具店、金物店、毛皮店、紙屋、帽子店にはまったく植物が育たない。役所の窓にも何も生えない。郵便局でも電信局でもまるっきり何もはえない。なかでも税務署ときたら完全な砂漠である。

8月はバカンス。隣人に水やりを頼んで避暑しても心配でならない。バカンスよりも我が庭に帰りたい。2度咲きの花いっぱいの9月は素晴らしい。ああ!この地面を踏みしめた感触!湿り気があって、フカフカしていて、いつでも耕すこともできる!と思えばあっという間に10月。自然もまた冬眠に入る月と世間はいう。だが園芸家は10月こそもうひとつの春だと知っている。4月に植えたものが空高くそびえ、その下の庭に、ここに何植えようか、あそこに何植えようか、と迷う楽しさがある。

そして11月、いよいよ冬眠か……いやそんなことはない、秋は葉が落ちるが実は「葉の育つ時」でもある。チャペックはこう書いている。

(11月に)自然は死にもの狂いで突貫しているのだ。ただ自然は、店をしめて鎧戸をおろしただけなのだ。しかし、その中では、新たに仕入れた商品の荷をほどいて、引き出しにはちきれそうにいっぱいになっている。これこそほんとうの春だ。いまのうちに支度しておかないと、春になっても支度できない。(カレル•チャペック「園芸家12ヶ月」中公文庫P174)

11月まで読んでわかった。チャペックが本書で書こうとしたのは、園芸の12ヶ月だけではなく「人間の12ヶ月」でもある。

静かなる時があれば花咲く時もある。知識や経験を求めて渇水するときも、環境変化という雨水に押し流される時もある。ニッコウサンサンの日々もくる。庭の美しい王女のバラは6ヶ月咲くが、それも終わりはある。いつか皺を寄せ枯れてしなだれる。だがそれは死ではない。来るべき生誕までの準備なのだ。だからチャペックはこう書く。

よく聞きたまえ。死などというものは、けっして存在しないのだ。眠りさえも存在しないのだ。わたしたちはただ、一つの季節から他の季節に育つだけだ。わたしたちは人生をあせってはならないのだ。人生は永遠なのだから。(同P168)

わたしたちは死なないーといっても不老不死といったSFではなく、わたしたちは家族の中で、社会の中で、人類の歴史の中で、死して生き続けるのである。それらは庭である。家の庭、国の庭、人類の庭。どの庭で生きるか、それはその人次第。大きい方がいいのではなく、フィットすることが大事である。

だからわたしたちは何をすべきか。それもすでにチャペックが書いている。

未来はわたしたちの前にあるのではなく、もうここにあるのだ。未来は芽の姿で、わたしたちと一緒にいる。いま、わたしたちと一緒にいないものは、将来もいない。芽がわたしたちに見えないのは、土の下にあるからだ。未来がわたしたちに見えないのは、一緒にいるからだ。(同P174)

土の下へ、芽になる芽を植えよう。たった今から。

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