トルストイの靴作り

原稿を入稿してほっと一息、読みさしの本を手にした。「園芸家12ヶ月」はチェコの文豪カレル•チャペックの代表作である。

チェコ語の原典をドイツ語訳したものを、日本語に訳したという翻訳家小松太郎の文に興味を覚えて読んでみたのだが、これが素晴らしい。叙述とも対話ともつぶやきともつなかない、絶妙なブレンド文。地を掘れば掘るほど宝物が出てくる感触。文の修行のためさっそく第1章を書き写した。

この園芸家の庭づくりの1年を描いた話、1月、2月、3月と読みすすみ、4月の園芸家の章に入ると「労働の日」という話がある。

チェコではメーデーを「労働の日」という。その日に労働者の権利を主張するより、私有財産こそ祝うべしとチャペックは書く。彼のいう私有財産とはもちろん自分の庭である。正確には庭づくりである。庭をつくる労働とは、高尚だとか健康のためではなく、タカネギキキョウがりっぱに茂り、サキシフラガがすくすく育って、かわいらしいクッションで庭をうめつくすために働け、庭労働によって結ばれた果実を愛せというのだ。

と読んでいくと、つぎのくだりがある。

わたしはあるとき、トルストイを訪問した男に、トルストイが自身で縫った長靴はどんなふうだった、と聞いた。その男の話では、その長靴はおそろしくぶかっこうなものだったそうだ。(「園芸家12ヶ月」中公文庫版P71)

はて…トルストイが靴作り?

と思って調べてみると、文豪トルストイは靴の手作りが大の趣味だったという。自分では悦に入っていた靴は、どうやら雪が入り込むような代物だったようだが、靴好きがこうじて、文豪は靴の話をいくつか書いた。フランスのクリスマス物語を下じきにした「靴屋のマルチン」は代表作だが、「イワンの馬鹿」にも靴作りにちなんだ物語があった。

それは「人間にはたくさんの土地が必要か」という短編で、人間は満足することを知らない、土地を得ればもっと土地が欲しくなる、欲望にはきりがなく、その欲望に破滅するというお話である。つい最近、そんなレバノン人の話もありましたね。その中にあるエピソードが「靴屋のセミョーンとミハイラの話」である。あらすじはこうだ。

ある百姓家に間借りして住んでいた貧乏な靴屋がいた。持ち家も土地もなく、靴屋仕事で暮らしをたてていた。手間賃よりパンの方が高いので暮らしは苦しい。ようやく小金を貯めて、百姓に貸していた手間賃を集めて足せば、女房に外套を買ってやれる。ところが百姓も貧乏なので代金を払ってくれず、外套は夢と消えた。ヤケになってウォッカをひっかけて雪道を歩いていると、教会の前に裸の男がただずんでいるのを見かけた。

なぜこの寒い日に裸なのか?

見なかったことにして立ち去ろうと思ったが、どうしてもできずに、自分の外套を着せて、靴を履かせて家に連れて帰った。その無口な男はミハイラといった。身寄りもなく労働経験もないという。そこで靴作りを教えると、またたくまに覚えて腕の良い職人になった。セミョーンの靴屋は大繁盛しだしたのだ。

そんなある日、3頭の馬を引かせた橇(そり)が靴屋の前に止まった。橇から降りたのは太った貴族である。貴族は超一級の皮をバーンと広げて、「これでわしが履く長靴を作れ」と命じて、足の寸法を取らせると去っていった。途方に暮れるセミョーンをそばに、ミハイラはその皮をナイフで丸く切りだすと、長靴を作るのではなく、死人に履かせるような靴を作るではないか。セミョーンが「お前はなにをするんだ!」と叱ると、先ほどの貴族の従僕が帰ってきて、こう言った。

「旦那様が先ほど橇の中で命を落としましたので、長靴はもういりません。代わりに死人に履かせる靴を作ってほしい」

ミハイラは仕上げた死人用の靴をきちんと拭いて、従僕に渡した、というお話である。お気づきだろうか、ミハイラとは旧約聖書に登場する天使ミカエルであろう。ミカエルという名を直訳すると「神に似たるものは誰か」という意味である。

なぜミハイラが裸で教会にいたのか、謎がとけた。チャペックは先ほどの引用文に続けて、こう書いている。

労働をするなら、好きですべきだ。あるいは技量があるからするのでもいい。とどのつまり生きるためにする、というのでもいい。主義のため、あるいは道徳的な動機から労働をするのは、たいして価値のないことだ。(同)

私有財産を増やすことは労働の価値ではない。上手になること、好きだからするのが労働の真の価値である。神様をそれをいつも見ている。

僕が自分の労働を恐れ多くも「文を書くことだ」と言うのであれば、主義主張を声高にいうとか、あなたはこうしなさいなんて書いてはならない。ただ、読んで楽しんでもらえればいい。読んだ人がその人らしい労働に目覚めてもらえればいい。ではまた仕事にかかります。

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