偉大なるインフォームドコンセント

投薬や手術、治験などの医療行為をする前に、医療者から行われるのが「インフォームドコンセント」である。これこれこういう医療行為をします、効能はこうです、副作用や失敗はこうですという内容である。これをよくある「説明と同意」と訳すのは誤解の素と、ある医師が言っていた。

氏よれば、「説明と同意」では、医師が説明しそれに患者を同意させるという「医師中心姿勢」が明白で、患者さんの心をくみとっていないという。なるほどと思った。ていねいに訳せば「患者に理解していただく医師の説明義務」といえばいいのだろう。医師を信じて医療行為を受けてもらう、これがありたい状態である。最近は「言っておけば/書いておけば訴訟リスクが小さくなる」というネガティヴな狙いは減っただろうが……。

ではノーベル賞作家パール•バック女史の一人娘の場合はどうだろうか。

のちにわかったのだが、バック氏の娘は知的障害だった。3歳になっても「話さない」ことに憂慮し、当時(1920年代前半)住んでいた中国の医者に聞き回っては首を振られ、アメリカにもどってあちこちの医者に訊いてまた首を振られた。何十軒目の最後の病院はメイヨ•クリニックだった。そこの小児科部長も「治るかもしれない」と口を濁して終わりだった。途方に暮れたバック氏が、まとわりつく娘の手を引いて帰ろうとすると、ひとりの医師に廊下で呼び止められた。背の低いドイツ系の医師は小部屋に入るように手招きして、バック氏をじっと見つめて、下手な英語でこういった。

「わたしの話すことをお聞きください。このお嬢さんは決して治りません。空頼みはおやめになることです。あなたが望みを捨て、真実を受け入れるのが最善なのです。でなければ、あなたは生命をすりへらし、家族のお金を使い果たしてしまうでしょう。お嬢さんは決してよくならないのです。おわかりですか。わたしにはわかるのです」

たくさんの難病の子を診療した経験のある小児科医の医師は、こういった。ずっと後にわかったバック氏の娘の病名はフェニルケトン尿症、アミノ酸の先天性代謝異常である。原因は現在でも不明の指定難病であるが、1953年にドイツの小児科医 Bickel博士が発見した食事療法によって、知的発達障害になることはふせぐことができるようになった。今ではほとんどが治るとされるが、なにしろそこまでくる数十年も前のことである。ドイツ系の医師は続けた。

「アメリカ人はみな甘すぎるのです。しかし、わたしは甘くありません。あなたがどうすればよいかがわかるためには過酷なほうがよいのです。
 この子どもさんは、あなたの全生涯を通し、あなたの重荷になるはずです。その負担に耐える準備をなさってください。この子どもは決してちゃんと話せるようにはならないでしょう。決して読み書きができるようにはならないでしょう。よくて四歳程度以上には成長しないと思います。
 奥さん、準備をなさってください。お嬢さんが幸福に暮らせるところを探してください。そこに子どもさんを託して、あなたはあなたの生活をなさってください。わたしはあなたのために本当のことをもうしあげているのです」
(『母よ、嘆くなかれ』パール•バック著 1993年新訳版 法政大学出版局より引用)

こう言われたバック氏は頭が真っ白になった。この医師は無慈悲だと思った。だがあとで考えると、あの医師はつらい気持ちを抑えてそう言ったのだとわかってきた。それからバック氏はだんだんと嘆くことをやめて、娘の将来を考えるようになっていった。全米の学園を訪ね歩き、ここだと思ったところに決めて預け、自分も娘の寄宿舎付き学園の近くに居を据えて、執筆活動に本腰を入れた。代表作『大地』はそれから6ー7年後くらいの出版である。

この医師のインフォームドコンセントは母と娘の歩む道を定めたものだった。厳しい内容だったが偉大なる助言だった。それこそが医師にできることの最上のものである。

医学用語ひとつとっても奥行きがある。そういうことを知って医師になる人はなってほしいし、医療を受ける人は受けてほしい。また医師のことを書く人もそこまで知って書くべし、と自戒をこめてこの話しを紹介しました。

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