君もかつて『飛ぶ教室』にいただろう?

敬老の日にお年寄りを「いたわる」にはどうしたらいいか。ひとつ、子供の頃のことを聴いてみてはどうだろうか。

地元の図書館でドイツの少年少女文学、エーリッヒ•ケストナーの『飛ぶ教室』を借りて読んでみた。すぐに吉野源三郎の『君たちはいかに生きるか』に通じると思った。最近リバイバルしているらしいですね。ケストナーの物語は、ドイツ•キルヒベルクの寄宿学校が舞台である。スイスやオーストリアとの国境近く、山あいの地で、学期のあいだ勉強も寝食も喧嘩も冒険も共にするクラスメートたちの物語である。どうやら作者のケストナーもそのひとりだったのは、物語の最後で明かされるのだが、学校での冬の日々を、子ども心のままに描いた作品である。

物語の序章にある、語り手であるケストナーの言葉を書き抜いておこう。

子どものなみだはおとなのなみだより小さいというものではありません。おとなのなみだより重いことだって、いくらもあるのです。思いちがいをしないでくださいよ、みなさん。わたしたちは、なにも不必要に、なみだもろくなろうというのではありません。わたしがいうのは、ただ、人間はどんなにつらく悲しいときでも、正直でなければいけないということです。骨のずいまで正直でなければいけない、ということなのです。(講談社 21世紀版少年少女世界文学館15巻 24P)

本書にはなみだがたくさん出てくる。喧嘩して流す悔し涙もあれば、友達を思ってつむった目から流れる涙もある。親への感謝に包まれた涙もある。つられて流す読者の涙もある。どれも正直な涙である。大人の涙には計算とか打算とか演技といった添加物がつきものである。だから読者がもしも大人なら、それを思い出せよ、とケストナーは言うのである。

もう一節、書き留めておきたい。これはクラスメートのひとり、ジョーニーという子に降りかかった不幸のことである。ジョーニーのアメリカ人の母は家を出て行き、子育てに困ったドイツ人の父は、4歳のジョーニーをニューヨークからドイツハンブルグ行きの船に乗せて去っていった。ハンブルグで「祖父母が迎えに来ます」と船長にことづけたのだが、待てど暮らせど来ない。なにしろ祖父母は数年前になくなっていたのだ。つまり、ジョーニーの身の上に起こったことの不幸に比べれば、たいていの不幸は小さいものである。だからケストナーは次のように書く。

ただ一つ、自分をごまかしてはいけません。また、ごまかされてもいけません。不幸にあったら、それをまともに見つめることを学んでください。うまくいかないことがあっても、あわてないことです。不幸にあっても、くじけないことです。へこたれてはいけません。不死身にならなくては。(本書P30)

でもなかなか不死身にはなれない。みんなが父母の元に帰って楽しく過ごすクリスマス休暇になると、ジョーニーはうつむき、言葉少なになる。余談だが、うちの猫のピノ子も「捨てられた家猫」である。そのショックは2年たった今もひきずっている。ものすごく寂しがりやで、今日もあんまりピノ子が僕にまとわりつくので、「ほって置いてくれ!」って言ってしまった。すごく悲しい顔をした。この子は不幸を知っている。だから僕が「不幸だ、不運だ」とこの世や我が才能を嘆くとき、いつも寄り添ってくれる。不幸を嘆く人を慰めるには言葉はいらない。猫のように、何も言わずただ寄り添うことが賢明なのである。

とまあ、かなり読書感想文からは脱線したが、本書では人の弱さとか強さとか優しさとか勇気とか、そういう純粋な感情に触れることができるというふうに思ってほしい。僕が一番いいなと思ったエピソードを最後にひとつ。禁煙さんと正義先生の再会である。

正義であるゆえのあだ名だろうが、正義先生は、いま寄宿舎学校の先生をしている。禁煙さんは、その学校から少し外れた丘に、禁煙車両の客車を改造した家にひとりで暮らしている。彼はかつて医師だったが、妻と子を失くして、失意のうちに医師をやめて姿をくらませた。何年もたってから丘の上に舞い戻ってきた。学校時代から親友同士だったがずっと会っていなかった二人を、クリスマスの前の晩、子どもたちが二人を引き合わせてくれた。それは忘れられない二人の再会の場になった。

そのときの禁煙さんの言葉を引用しよう。

禁煙さんは正義先生と腕を組みました。
「いちばんたいせつなことを忘れないように。」と、彼はきっぱりといいました。「この、二度とわすれられないときにあたって、わたしは諸君におねがいしたい、きみたちの子どものころのことをわすれるな!と。諸君がまだ子どもでいる現在、これはまったく、よけいなことをようにきこえるかもしれません。しかし、よけいなことではないのです。わたしたちの言葉を信じてください。わたしたちは年をとりました。が、まだまだわかいつもりです。わたしたちは二人とも、そのへんのことはこころえているつもりです。」(本書P258)

大切なことはすべて子ども時代にある。その時からどれだけ遠く来てしまったか。

タイトルの『飛ぶ教室』という意味に触れておこう。これはクリスマスのお祝いの舞台での生徒たちの演劇の題である。どんな物語か具体的には書いてないが、飛ぶという言葉に内容が込められている。

飛ぶというのは勇気を出すこと。不幸と向き合うこと。だれかを助けること。正義を守ること。自分に打ち勝つことなのである。

敬老の日の今日、おじいさん、おばあさんと話しをする機会がある人は、ひとつ、子供の頃の思い出話をねだってみたらどうだろうか。誰にも忘れられない物語がひとつやふたつあるだろう。それはきっと「飛ぶ話」だと思うのだ。

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