マイ・フェア・レディを探して

1本の映画は人生における価値観を決めることがある。あるいは、生来持っている生き方の遺伝子を呼び覚ますことがある。

医師のインタビュー仕事で、最近立て続けに「映画が人生を決めた」と告白してくれた医師がいた。ひとりは、忘れかけた人間らしさを回復させてくれるSF物語、タルコフスキー監督による『惑星ソラリス』をあげた。もうひとりは、江戸時代を舞台にした弱き貧者を医療で救う物語、黒澤明監督の『赤ひげ』をあげた。映画だけの影響で医師になったとは言い切れないけれども、映画によって植えつけられた価値観で導かれたのだろう。

本や音楽ももちろん人生に色濃く影響するが、とりわけ映画による影響が強いのは、映画体験が「映写小屋」で「ひとり(誰かと観ても基本はひとりだ)」で「物語と向き合う」体験だからだろう。ずばっと入ってくる。僕も中学生になってからひとりでたくさん映画を観に行ったけれど、自分の「1本」は何だろう?と改めて考えていたら、ひとつ心当たりがあった。

オードリー•ヘップバーン主演の『マイ・フェア・レディ』である。

念のために書いておくが、1964年作品だから、中学生頃にリバイバル上映されたのを観たはずだ。言語学の教授のヒギング教授が下町育ちの花売り娘のイライザと知り合って、彼女の下品な英語を正していく(フェアにする)うちに、恋していることに気づくロマンチック•ミュージカル物語である。

ヘップバーンといえば、ローマの休日やシャレードや尼僧物語やおしゃれ泥棒や戦争と平和…と色々あるけれど、ずっと考えていたら、どうやら僕は『マイ・フェア・レディ』で恋におちたことに思い当たった。劇中音楽のレコードを買って繰り返し聴いたので、『Wouldn’t It Be Loverly?』『The Rain in Spain』『I Could Have Danced All Night』は今でも口ずさめる。バーナード•ショーの原作も英語のペーパーバックで読んだ記憶がある。だから英語好きになったのだろう。

この映画が自分にどんな影響をもたらせたのか。それは「本当に愛する人を探して」である。

片思いに敗れ、倫理にもとる恋もどきをして、愛のない結婚もして、つまり恋で成功した記憶はほぼないけれども、淡い瞬間はあったかもしれないけれども、なんとかヒギング教授が映画のラストでいう「イライザ、スリッパをとってくれ。君が忘れられないんだ」というセリフを言ってみたい。それがために(それだけではないにせよ)生きてきた感じがする。

だから理想の女性はオードリー•ヘップバーンのように痩せていて、美人で、扱いにくくて、でも自分の生き方をもっていて、僕のことを正してくれる人。スクリーン上の空想である。そんな人はいない、いても出会えないとずっと思ってきたが、そうでもなかった。実はいたのだ。でも僕は教授ではなく、言語学といっても拙文しか書けない。富も名声もない坊主頭である。身分の違いゆえになかなかうまくいかないのだけど、それでも出会いがあったのはよかったとしみじみ思う。

冒頭の文句の繰り返しになるけれども、1本の映画から人生を決める価値観ー恋愛至上主義遺伝子ーを授かるのか、もともと持っていた生き方の遺伝子が呼び覚まされるのか、どちらもある。どっちにしても大切なことは、呼び覚まされた価値観に従って生きることができるか?自分のしたいことにフェア(Fair)であり続けることができるか?である。マイ•フェア•ライフなんて英語はなさそうだけど、自分を正してくれる人、正してくれる物語、正してくれる経験ーそういうものに影響されながら、私たちは生きているのだと思う。

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