位置づくりの言葉

性懲りも無く、と言うと叱られるけれども、ジャック•アタリ(思想家でフランス政府のご意見番)の本をよくぞ何冊も出すものだ。どこぞの誰が好き好んで読むのか、重版するというからびっくりだ。

こちらは生活秩序ゼロ、3ヶ月先さえ見えず、猫一匹支配できない(笑)身である。日本はどうするべきか?と訊かれてもサッパリわからん。まだ読んでませんし(すみません)。編集した作品社の内田氏がいうには、本書の翻訳出版の折、アタリ氏が日本に立ち寄った。何社か取材を受けたが、ある社から「対談」でやって来たのが、あのXXX氏だった。

「それがさっぱりでさ…」

コメンテーター/ジャーナリストのXXX氏、忙しい身である。アタリ氏にごく当たり前、通り一遍の質問しか投げかけられず、退屈なインタビューだったという。憤慨する彼に慰めるように僕は言った。

結局、ポジショニングなんじゃないかな。わかりやすく伝えるのはプロでもさ、それだけではポジションとはいえないよ」

そうだ、その通りだと彼は電話の向こうで大きく頷いていた。ジャーナリストにせよ、キャスターにせよ、ライターにせよ、わかりやすく噛み砕いて伝えるだけではそれでおしまいだ。現代社会をどういう地点から見て、どこに行くべしといわねば価値はない。立ち位置、目の高さや広さが大事なのだ。ライターと作家を分かつのもその有無である。

自分はどうか。ドクターズマガジンで70名に及ぶ名医の取材記事(ドクターの肖像)を通じて、ちょぼちょぼ見えてきたことはある。たとえばー

「100年単位で考えろ」(アカラシアの井上先生)
「外科だけじゃない、救いだ」(灯外来の笹子先生)
「ただ目の前の命を助けなさい」(救急救命の山口先生)
「もっと先を知ることだよ」(宮古の本永先生)
「自分から変わらなきゃいかん」(病理の仲野先生)

いずれも心にしみる「位置づくりの言葉たち」である。このインタビューでは「こんな名医である、こんなにすごい」とマア商業誌でもあるので、そう書いてはいるが、根本にある強い普遍メッセージは、商業誌を超えて心に響く。よく聞けば、みなさん似たことを言っている。今の医療を超えたもっと善き医療へ、と。それは僕の薄い胸の奥でムラムラとわなないている。

今、書こうとしているK医師からは、まずひとつ「人生を楽しもう」と教わった。これはでっかい言葉だった。その医師とインタビューで二人きりになったとき、彼はこう言った。

K医師 多くの医師が自分の(富や組織保全や名声や…)のためにやりがちだっていうのがあって、医療って何のためなんだろうな…って(思います)。

郷 僕もそれに納得ができなくて、今日に至るところがあります。

どういう医療でどう人を救おうとしているのか、それを書きたい。その医師の本に「Learning to heal」という言葉がある。「癒すことを学ぶ」という意味だ。では癒しとはなんぞや。「失ってしまった希望を再発見すること」、たとえばがんでステージ4、再発して死を待つばかりである。病のせいで生きがいにしてたことができなくなった。そんな絶望に暮れる人びとに「どのようにつらいか話してください」とひたすら話を聞くのが真の医師である。絶望から希望を再発見する支援こそ、医師の大きな使命である。それはまた、文を書くことでもある。位置をもって、位置を授けることである。

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