この映画を観て以来、<静寂>が気になる。
夜中に目を覚ますと、窓の向こうからサーっという音が聞こえる。風の音だろうか、ひときわ光る火星からだろうか。昼間、インタビュー録音を文字起こしするため、イヤフォンでICレコーダーを再生する。誰も語らない部分に入り、サーっという音が聞こえてくる。ふとこう思う。
ソラリスの海からの音だろうか……。
映画『惑星ソラリス』(1972年作品)を動画で視聴した。言わずと知れたタルコフスキー監督の名画であるが、観たことがなかった。ある事情から必要に迫られて観たのだが、宇宙船が飛び交う活劇でもなく、地球を総攻撃する異星人の寓話でもなく、血の通った人間ドラマだった。
未来のXXXX年、地球は荒廃し自然はすっかり失われており、地球外への探訪も日常的に行われている。惑星ソラリスの上空軌道におかれた宇宙ステーションでは、過去100数十年で数十人もの自殺者が出ている。惑星を覆う「ソラリスの海」が原因らしい。だがソラリスの海は何びとの調査も拒み続ける。そこで心理学者のクリスを宇宙ステーションに送って、残された3人の科学者や実情を調べることになった。
訪れたクリスは奇妙な光景に遭遇する。電子工学のスナウト博士は、やれやれといった調子で、ここで起きていることを受け容れなさいという。生物学者のサルトリウスは実験室に閉じこもり、なかにも入れさせない。実験室では子供らしきモノが走り、ドアを破ろうとしている。そして物理学者のギャバンは、クリスにビデオメッセージを残してすでに自殺していた。やがてクリスはステーションで死んだ妻に出会う。
10年前、クリスと妻のハリーの間でいさかいがあり、妻が自殺を遂げた。そのことをクリスはずっと引きずっている。彼はまだハリーを愛している。彼の心の深層にあるその“棘の刺さった過去” “うしろめたさ”をソラリスの海が感知して、作って送ってきたのが<妻のコピー>だったのだ。
ソラリスの海には人の心を読み、作用するパワーがある。宇宙ステーションの誰もがこのパワーにさらされて自制を失い、懺悔をして自殺を遂げてきた。バッハのコラール・プレリュード『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』が響き、なかなか途切れない長回しのカメラによる映像美に目が離せない。
当初はコピーの妻を嫌ったクリスだが、やがてコピーに過去を打ち明けて気持ちを通わせていく。クリスはコピーをかばい、守るようになる。サルトリウスが「これはモノだ、気をつけろ」と言うと、こう反論する。
クリス もしあなたが病気で動けなくなったら、あなたを看病するでしょう。それが自然な姿だ。それだけのことです。
サルトリウス 相手がどんなものでも?
クリス そうです。
サルトリウスはコピーのハリーにも暴言を吐く。
サルトリウス あんたはハリーの繰り返しだ、コピーなのだ!影なんだ!
ハリーのコピー そうかもしれません。でも、あたしは人間になります。感情だって劣っておりません。彼なしでは生きていけない。愛しています。私は人間です。あなたがたは酷すぎます。
スナウト 口論したって始まらないだろう。
ハリーのコピー 人間だから口論するんです。
ソラリスの海には人間に自浄作用をうながす力がある。クリスはハリーのコピーを愛し、大切にする。だがミッションを果たすと、コピーは消えていく(自殺を遂げる)。ミッションとは「人間に気づかせること」である。人を愛すること、良心に従うことがこの世で、いや宇宙で一番美しいということに、気づかせることがソラリスの海のミッションなのであろう。
ラストシーンがまた意味深である。
地球に帰還したクリスは、父のいる実家に帰っていくのだが、そのシーンはそもそもオープニングで暗示された光景とそっくりなのだ。さらに、クリスが帰還前に、宇宙ステーションから見下ろすソラリスの海が、だんだん干上がって陸地ができてきていたのだが、その光景そっくりなのだ。
クリスにはまだ父との相克という、語られていない心の棘があるのだろうか。輪廻転生ではないが、人間は生きることを通じて人間関係を壊し続け、そしてそれを再生し続けるという、救いを求めてずっと生き続ける生命体なのだと言っているようだ。
愛するとは、相手の存在を認めるということなのだ。それができているだろうか?静かに自分の中から<静寂の音>を聴き続けて、自問したい。
スナウトはこう言った。
「彼女を助けてやれ」
クリスはうなずいてコピーの妻に向かって言った。
「君は僕の良心なんだ!」
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