見えるようになると変わる。いや、変わろうとするから見えるのだ。
ここ数ヶ月、右目の視界不良を感じていた。左目はクリアだが右目がどんよりして、ぼやけてよく見えない。だからなのか、刻んだネギをのせたまな板をひっくり返し、冷蔵庫から出した揚げ玉を床に撒き散らすといった失敗が続いた。僕は2年半ほど前に白内障の治療をしているので、アタリはすぐについた。たぶん後発白内障だろう。
白内障とは70歳になれば誰もがなる水晶体が濁る病気だ。濁りを取って眼内レンズを挿入してポンである。あれで人生の露出計が100%アップした。ところが術後、数ヶ月から数年後、かすんだりまぶしくなったりする人が数%いるという。どうやらそれなのではないか。まてよ、マサカ緑内障が悪化していないだろうかという不安もあった。
だが眼科に行くべきかどうか、迷っていた。
理由その1は近所のS眼科である。白内障治療の時にお世話になったS眼科は、先生は良い人なのだが設備が検査機器しかない。検査教育もイマイチで、視野点滅検査のやり直しはツラかった。S眼科で診察を受けてもレーザー治療をする病院の紹介で終わるだろうという見込みがついた。それならと白内障の手術をした秋葉原アイクリニックに電話すると、やんわりと紹介元にかかってくださいと勧められた。
理由その2は、これからの人生視界を明るくすべきか?その動機付けである。どうせ死ぬんだからやんなくてもええか。なにか踏ん切りがつくような出来事があれば別だが……
ともあれネットをぐぐると、少し離れたところに眼科が一軒ある。ピンときて調べていくと信頼できそうだ。先生が良い年頃(40歳くらい)で、慶応眼科学卒業、その後も基礎の勉強をしっかりして留学までしている。設備もいいし、混んでいるし、口コミもいい。そして副院長も美人だ。
その「東松戸はなぞの眼科」に行った。
予想通り、視力検査も眼圧検査もスムーズで、瞳孔を開いてからの視野点滅検査もテキパキ終わった。ありがたいぜ。しかしどうして眼科にはどこも、鼻にかかった声で少しけだるそうに緩慢に動いて、それでいて指示にムダがない看護師がいるのだろうか。このタイプの看護師は秋葉原アイクリニックにもS眼科にもいた。そしてここにもいる。きっと何かあるに違いない。
院長先生の診たては的確だった。後発白内障であり濁った後嚢をレーザーで切り取る治療を「してもいい」という。
「まだそれほど悪化してませんから、今手術しなくても大丈夫です」
いやいや、よく見えないんだよと独白。しかし恐れていた緑内障の悪化はそうでもなく、網膜もまだ元気だというのはありがたい。
「先生、手術をするとしたら、いつになりますか?」
「今日でも」
え?今日終わっちゃうの?と独白。ためらうことなく、
「ではやってください」
「では患者さん5-6人診たあとにさせてください。混雑しているので、すみません」
痛み止めの目薬を打ってからまた診察室へ。奥にある機械にアゴを乗せると、先生はレーザー光線を打ってきた。ぽっぽっぽと赤いんです。手術はアッというまのタメゴロー。古いギャグすみません。術後の違和感は15分くらい続いて、少し不安にはなったが、だんだん違和感は取れてきた。2時間に及ぶ診察終了、会計を終えて街に出た。自転車を漕いでゆくとまばゆさが薄れてきた。そして、気づいた。
木の緑が濃い!空が明るい!
帰宅して台所に立った。どこもかしこも汚れている。あちこちゴシゴシ掃除をしだした。よく見えてなかったのだ。ベランダのサッシの桟も拭いた。本も楽に読めるようになった。翌朝、もっとよく見えるようになった。検査もいっぱいしたので治療費は9200円ほどかかったが、見合った投資だろう。ありがとう、先生。白内障を執刀してもらったドクター赤星先生のインタビューも書いたし、白内障のことは相当知っているので、不安に思っている人はメールください。
最後になるが、なぜ眼科に行こうと決心したか?実は背中を押される「出来事」がひとつあったからだ。「もっとがんばろう」それには「人生視界をよくしておこう」とフンギリをついたのだ。
いや、「背中を押される」と書いたが、正確に言えばちがう。人生は自分でリードすべきなのだ。「こうしたい」と思うから「そうなる」のである。すると「こうすべし」という提案が心におりてくる。それをやると「そうなる」に向かって一歩進む。
人生なんてしょせん花火。長くて何十年の寿命である。ならば人生を楽しめばいいじゃないか。
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