ドキュメントとして一級作品を味わい尽くし、さらに誠実に書くことも教わった。
大崎善生氏の『将棋の子』を読了して、その元になった作品を読みたくなった。それが本書『聖(さとし)の青春』(2002年講談社)である。読みだすと「まずい」と思った。圧倒的なのである。1ページずつ時間をかけて読みこんだ。
主人公の村山聖は幼くしてネフローゼにかかり、病に負かされそうになりながらも将棋界の最高峰であるA級まで上り詰めた棋士である。本書には29歳で夭折した聖の青春のすべてが書かれている。
すべてとは何か。まず聖の「病」である。出だしのマムシとの遭遇から発熱するまでのくだりがスリリングである。そこには聖の一生を暗喩する生と死があり、気丈さがある。石に千切られて半身になっても生きたマムシから、病に冒されても戦い続けた聖の物語へ誘導される。
闘病生活の中で出会ったのが「将棋」であった。天分はあったが、むしろ集中力という才能が生かされた。子供が夢中になることに親が惜しみなく支援したからこそという経緯も納得できる。将棋の天才をどう育てるのかわからず、親が悩み右往左往し、失敗するくだりもおもしろい。
本書の大テーマである「愛」は将棋を軸にして広がる。
まず「父母の愛」であるが、母が病人の子に付き添い、父が将棋の子へ導く姿が対照的である。何より師匠となった森信雄(七段、2017年に引退)との「師弟愛」が抱きしめたくなる。かなり不潔で、時に泣けてきて、だが二人とも将棋にひたむきなのである。弟子に勝てない師匠というのが笑える。思わず本書を閉じて森氏のインタビューをネットで読んだ。破天荒な無頼漢が「冴えんなあ」とつぶやくたびに笑える。愛といえば聖の「弱きもの」へのまなざしがいい。死と向き合って生きてきたから弱い者の気持ちがわかる。
将棋仲間との「勝負」もワクワクする。地方の猛者を次々と破るのも圧巻だが、大阪や東京での有段者と対戦して成長していく姿がいい。最初は“終盤の怪童”だったが、壁を感じて序盤も中盤も強くなり、羽生と渡り合うようになる。連続して9敗していた谷川についに勝つシーンはガッツポーズである。
聖の進撃を支えていたのは「努力」だ。病床の詰将棋や棋譜の研究、アパートと定食屋と将棋会館しか巡らない生活。病が来ると寝込み、熱が引くと起き上がって将棋を研究する。それだけの日々だった。彼の「恋」はついに描かれないが、童貞のまま死んだのだろうか。映画化作品には描かれているのだろうか(観てないので知らない)。
もう一つ、気になったのが「作者の登場」である。大崎氏は当時雑誌「将棋世界」の編集をしており、森を通じて大阪で聖と出会った。東京に転居する際にアパート探しまでしてやるほどの関係になった。対戦も観て、酒も飲んだ。本書にはこうしたシーンが挿入されている。
作者と主人公の交流が描かれたことでリアリティが増し、作品に厚みが出た。だがそのために作者自身を登場させたのだろうか?
ちがうだろう。ドキュメントが単なる“物語”や“回顧”や“訓話”にとどまるか、読者の心を動かす“実感”にまで昇華できるか、その間にあるものは、作者の「誠実さ」であるように思う。そもそもドキュメントはなぜ書かれるのか。「対象に興味をもって」書くのが王道である。時には「依頼されて」商業文を書く場合もある。単に事実を伝えるか、自分の思いを入れるかという違いもある。だがポイントは「どこまで純粋に書けるか」。対象との関係を作中に書くことは、そこを正直にすることである。
最後に、聖にとって将棋は何だったのか。「救い」だったのか。そんな単純なものではないことは、将棋年鑑へのアンケートの答えの挿話でわかる。
この年の将棋年鑑で、騎士全員に送るアンケート項目の中に「神様が一つだけ願いをかなえてくれるとしたら何を望みますか」というものがあった。それに対して村山はたった4文字でこう答えている。
<神様除去>
村山聖は死という運命だけでなく、相手を倒すために戦わなければならない人間の宿命を嫌っていた。将棋は人生そのものであり、また鬼っ子だった。彼こそ誠実に生きた人であった。だから大崎氏も誠実に書いたのだ。この作品に肉薄できる文が自分に書けるとは到底思えないが、せめて不誠実さを、自分の中から除去して書きたいと心から思った。
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