働き方改革は家族の幸せから。

先々週6月21日のことになるが、ベトナム人留学生就活支援講座、上半期の最終日は、参加者約40人に一人ずつ「10年後の自分」を発表してもらう場にした。

立食パーティで飲んだり食べたりしながら、前に出て60秒スピーチ。10年後独立する、カフェの夢を実現する、通訳になっている…夢さまざま、いろんな10年後がある。ところが、ひとつの共通項があった。

家族である。

留学生の7割いや8割の人が、仕事の夢とともに「家族と幸せになる」と語った。大卒で就職経験もある既婚者も数名いる。それは現実の家族を語るのだが、まだ見えない未来の家族を語る人が多い。父母兄弟と共に幸せに暮らす夢ある。たんに「祖国に帰りたい、家族といたい」というのではなく、どうやら生き方の軸に家族があるようだ。

これが家族を粗末にしてきた自分には新鮮だった。

ずっと仕事中心で成長しようともがいてきた。自己実現やスキルアップを追求してきた。収入も肩書きも欲っした。ところが成れの果ては離婚して、兄とも仲たがい、ひとりぼっちである。

僕だけではあるまい。多くの日本人は「仕事のために」が強すぎる。家族のためにと言いつつも、実は顧客や市場のために長時間働く。それが価値観だと思ってきた。人助けのボランティアをする人も、お膝元の自分の家族とは不和で疎遠という人もいた。なんかおかしくないだろうか。

日本政府が今国会の最重要法案とした「働き方改革関連法」は、ダメージを受けながら成立した。嘘のデータで立法するという恐怖政治はさておき、なぜ成立まで混乱したかといえば、どういう働き方をすればいいか、ホネがないからだ。

高プロといって定額働かせ放題の一方で、残業するな、労働時間を減らせという矛盾は、働かせ方に何ら思想がないからである。人の真理を考えていないからだ。だから“過労死の実態”と“資本家の欲望”をツギハギにして平気なのである。政府ばかりか、企業も労働者もどういう働かせ方、働き方が幸せなのかスジが通っていないと思う。

そこでカギを握るのは「家族のために」なのではないか。

家族関係がぐらついていると、人間は思想や生き方がぶれる。自信に満ちた朗らかな性格形成ができず、いつも不安で、不満や嫉妬が絶えない。学業でも仕事でも成果が上がらない。中年以降で何か失敗し、挫折していく。そこまで戯画化、単純化するな、性格も環境も運不運もあるじゃないかというだろうが、家族とりわけ母親が人の生き方のカギを握るのは、本を書いた今では、まちがいないと思っている。

ただ「おかーさん!」のために働けと単純至極をいうわけじゃない。そこをしっかりすることで、大きな仕事ができる。世のため人のため地球のためにでっかい仕事ができるのだと思う。まず各自が、自分の経歴と家族関係を点検されたし。

留学生就活講義に8割以上出席した人には表彰状があった。嬉しい皆勤賞も10名くらいありました。


次は9月から後期の講義。日本人を改めさせるスピーチをよろしくお願いします。

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