快勝という言葉はあるが「快引き分け」とは言わない。だがその充実感に満ちていた。まだサッカー日本代表の試合後の会見も、選手コメントも読んでいないが、意外に早起きをしたので(何時に寝ようが起きようが自由業の良いところ)画面を通して感じたことを書いておきたい。
ロシアW杯、グループリーグ第2戦は対セネガル。アフリカサッカーは予想通りの足の長さ、しなやかさ、速さがあった。その足技のプラン通り、早い時間でのスコアがあった。まあGKのとんでもないミスだったが、それよりも日本選手がリードされてもあわてず、しっかり立て直して行けたのにびっくりした。
「あれ、変わったこいつら?」
素直な驚き。直前で監督を更迭して物議を醸し(ぼくはハリルじゃいかんと思った)、選手選定で酷評され(まだ一言いいたいが)、まったく期待されない船出であった。成田空港の見送りはわずか150人、負けに行ってこいや、てなもんだった。それがここまで1勝1分け。初戦の対コロンビアの勝利はまだぎこちなさや幸運もあったが、セネガルとは堂々と戦った。
何よりも意思統一があった。2度リードされても崩れずめげずへこたれず、追いつく粘り。最後の時間帯でもオフサイドトラップが乱れなかった。
「別のチームになったな」
小さな巨人乾選手の最初の同点ゴールは目を瞠ったが、本田選手の同点ゴールでは岡崎選手の相手GKをさえぎった「見えざるアシスト」に笑った。それもこれも彼らの心に「雨が降った」からだろう。マスコミやファンの仕打ちに怒り、負けん気、ふざけるな、が渦巻いていたのだろう。どん底から生還した彼らの姿を見てアインシュタインの相対性理論方程式を思い出した。
E=mc2
E(エネルギー)はm(質量)とc(光速度)の二乗であるという。エネルギーすなわち「結果」と、質量すなわち「選手という素材」、cすなわち「技術や戦術」の積は、等価なのである。ハリルの頃はこの方程式が崩れていた。西野朗監督はそれを立て直していったのだろうが、脱帽しました。批判してすみませんでした(笑)。実際のところ、mは「miteiyagare(見ていやがれ)」であり、cは「contikusyo(コンチクショウ)」であったのだ。
彼らが変化した最大の要因はコミュニケーションであろう。コミュニケーションといえば、今読んでいる医療の本からぼくは「コミュニケーションとは仮説検証である」と読みとった。交通事故で脳に損傷を受けて植物状態となった患者をどうしたら生還させられるか?ある施設では音楽療法を取り入れている。さまざまな音楽をどう聴かせると反応があるか。世界のあらゆる楽器を持たせて、触らせていく。楽器で指を動かさせる。音を聴かせるだけでなく、浴びせて、触らせて、反応を引き出す。さらにつねったり、座らせたりと患者の反応を見て、療法を変えていく。やがて障害を受けた脳機能の周辺が「生還してくる」という。やってみて、ためしてみて、変えていく。
西野監督がしたのはこういうことだろうと推察している。
TVerさん、無料実況中継をありがとう。
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