平和と静けさ

シンガポールには実りがない仕事で数度訪ねたことがある。「実りがない」のだから暗い思い出かといえば、そうでもない。

当時の勤めていた会社の設備商品の販売代理店候補を探して訪ねた。その会社のマネージャー(確かLeeさんといった)と美しいハイウェイをドライブした。彼と美味しい蟹や中華を食べた。仕事が終わると、安ホテルから目抜き通りのオーチャードロードに出て方々へ探索した。規律正しい清潔な南国は、どこを歩いても白亜の都市国家だった。ただ、痛いほどの日差しと、年がら年中手入れされている草木と、建物の壁を這うイモリの存在が、実はここは大自然と常に裏腹にあって、ほんの少し油断するだけで、あっという間に「草原国家」になることは容易に想像させられた。

都市南部のマーライオン公園にある「魚ライオン」像は見たけれども、それよりももっと南にあるセントーサ島には時間もなくて行けなかった。そこで来週6月12日、米国トランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長の米朝会談が開催されるそうだが、まずこの島の名前の由来が興味深い。

セントーサとはマレー語で「平和と静けさ」という意味だという。元はヒンドゥー語の「満足」という言葉が転じたものだが、さらに別名があった。「Island of Death from Behind」という。Behindとは「後ろから」という意味なので「後ろからの死の島」であるが、転じてつまり「死の後の島」という意味になるという。隔絶された環境から、かつて流刑地でもあったことからだと思われる。

流刑地時代の後の太平洋戦争時代になると、1941年12月に日本軍が東南アジアに侵攻した。翌42年2月に山下奉文中将の部隊がシンガポールへ進撃し、最後の戦地がセントーサ島であった。迎え撃つ英軍は日本軍が、制海権をもつ南の海から侵攻してくると考え、要塞を南向きにつくった。だがその予想に反して、山下部隊はジャングルを切り開き、道を作りながら、陸路を攻めてきた。英軍の背後を突く形になり英軍を陥落させた。英軍にとってはまさに「Behindからの死」であった。

話は変わるが、今朝早くに猫の喧嘩の声が聞こえてきた。ウォー、ウォーという唸りあいである。聞きつけたうちの猫が「おっ」と出窓に飛び乗って、外を睨みつけたが、どこにいるかはわからない。アパートの隣の隣の建物の間らしい。

何を争うことがあるのか。いくらマーキングしても、ほんの数時間で相手に侵略される縄張りである。しかもネコの土地ではなくヒトさまの土地である。地主のものであり、大きくいえば市や県の一部であり、日本国のものである。何しろ夏は単なる草むらである。ならば争うよりも猫らしく飛び回り、木をつたい壁をつたい、道を横切り、遊びあったらどうだろうか。じゃれあった方が楽しいじゃないか。

セントーサ島の美麗なホテルでも同じだ。どんなに睨み合っても、草むらをひんむけば、死屍累々の歴史があるだけだ。人々はそれを繰り返してきただけである。それを虚しく思えないのだろうか。ゴロンと寝っ転がった方が楽しいと思えないのだろうか。

うちの猫はそこへいくと平和である。外猫に立ち向かうより私に向かってくる。遊べ、遊べと夜中に叫んで、私の胸を攻撃してくる。その反動で昼間はスヤスヤ寝ているので、これは平和というのだろうなと思っている。

さて、仕事します。

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