将棋の子

ひさびさに没頭して本を読んだ。大崎善生氏の『将棋の子』である。

四段だと思ったら、あれよあれよの七段へ。藤井少年の大躍進で、僕のような全く棋才のない人々が将棋に夢中になっている。それは藤井の無双の強さや鮮やかな押しの打ち手、将棋のことしか頭になさそうな純粋さが理由であるが、彼の躍進の背後には、奨励会という厳しい現実がある。

26歳までに四段へ昇段か、奨励会退会かー運命の岐路に立たされ、破れていった棋士たちの姿を赤裸々に描いたのが本書である。軸になるのは、筆者が故郷の札幌で幼少の頃見かけた成田英二である。小学生の彼は輝いていた。

どの将棋指しも同じだろうが、地方では向かうところ敵なし、滅法強い天才少年少女である。だが東京や大阪に出て将棋奨励会に入ると、途端に「普通の将棋指し」になる。上には上がいるのだ。

家が貧しく、母親思いーいや母が彼を溺愛するあまり乳離れができなくなって、上京の踏ん切りがつかず、17歳という「高齢」で奨励会に入った成田もそうだった。

成田は本能頼りの破天荒な打ち手で、終盤をひっくり返して勝ち進む打ち手である。だが時代はハブゼン(羽生善治)、渡辺明らを筆頭に、定石や打ち手の分析力が優る者に重心が移っていた。成田の後半勝負癖は見破られ、前半で詰まれてしまうことが増えた。母は彼のために上京し、将棋会館の地階の喫茶で働く。二人で肌を寄せ合って将棋だけにすがって生きる。ところが母は乳がんに罹患していた。末期を迎えた母に心が乱れて、結局将棋の神様は彼に微笑まず、26歳で退会した。

母の死後ひとりぼっちになり、彼は故郷北海道の町を転々とする。パチンコ屋で働いて恋をするが、それは30歳を超えての初体験、相手は3人の子持ちである。パチンコ屋は倒産し、次に勤めた先もまた倒産し、転々として借金を抱えて夜逃げして、吹き溜まりのようなところで住み込みの廃品回収業をする。サラ金の借金は北見(網走の近くの町)にいる女へ通うための費用だった。北国での運命の残酷さに胸が詰まってきた。

本書には他にも病気になり、粗暴になり、世界を放浪し…と様々な「その後の棋士たち」がたくさん描かれている。だがたんなる目撃した人々のドキュメントではない。おもしろい構造がある。本書は「自伝的ドキュメント」なのである。

著者の大崎氏も幼少期に将棋に魅せられた男だ。大学で進路を決めかねているうちに将棋に再会して、新宿の将棋センターに毎日通い出した。そこでの知遇を得て将棋会館に勤めだして、やがて「将棋世界」の編集長となる。彼は「編集長職10年」という区切りを自らつけて退職する。それは棋士たちの年齢制限と同じだったのだ。そして「将棋とは何か?」という重い問いかけに答えようして、退会していった棋士たちを追いかけだした。このあたりの心模様が、成田らの動向と複線的に描かれているのが実に興味深かった。こういう書き方があるのかという新鮮さがあった。

さて、彼の問いかけはこうだ。「将棋とは残酷なのか、幸福なのか?

大崎氏は札幌で10数年ぶりにファミリーレストランで再会した成田に、退会後の北海道での流転生活を洗いざらい聞いた。2度目か3度目の食事をしながら、ようやく将棋に話を振った。聞けばもう15年指してないという。だが将棋のことを語りだすと、成田の瞳が輝き出してこういった。

「今でも将棋には自信がある。それだけがね、今の自分の支えなんだ」
「自信?」
「うん、こっちもお金もないし仕事もないし、家族もないし、今は何にもないけれど、でも将棋は強かった。誰にも負けないくらい強かった」
 そう聞いて大崎氏はこう思った。

 将棋は厳しくなく、その本質は優しいものなのだ。彼もまた「将棋の子」であった。

 実に優れた作品に出会った。こういう自伝的ドキュメントをひとつ、書いてみたいと思いました。

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