一創造百盗作

ある本を読んでいたら、「一創造百盗作」という言葉に出会った。

大野乾(すすむ)という1960年代から70年代にかけて活躍した生物学者が作った言葉である。日本人離れしたスケールの学者は、UCLAで性決定や遺伝子進化に関する研究で業績をあげた。中でも「遺伝子重複による進化」という考えが有名だという。

文化系にはなんじゃそれ?だが、脊椎動物などの高等生物のゲノムの進化には、倍数進化という遺伝子の爆発的な増加があったと考えた。ゆえに遺伝子は冗長なコピーの山盛りとなって、それを遺伝子重複と名付けたのだ。

さらに大野氏は遺伝子を音楽や絵といったアートと結びけて、世の中一般にも「一創造百盗作」があるといった。

たとえばゴッホやモーツァルトのような天才でも、真の創作は1回だけで、「ひまわり」の絵や「セレナーデ10番」であり、あとはその創造を模倣したり繰り返したりしただけであると。医学でブレイクスルーの発表がひとつあれば、それを追試し、応用する論文がゴマンとでるように、ゴッホやモーツァルトのあとには、彼ら偉大な芸術家を模倣した音楽や絵がゴマンと生まれた。

一創造百盗作は、一個人の中でもある。

ひとつの成功体験がある。あるいは身につけた能力やノウハウ、成し遂げた作品や業績がある。ようやく身につけたスキル、ようやく生み出した作品をベースに、誰もがそれで生活しようとする。たとえばタモリはワンパターンで芸能生活を乗り切った。明石家さんまもワンパターンだ。ひとつの芸をおしのべていった。つまり百盗作である。

だがビートたけしは北野武になり、世界のTAKESHIにもなった。自分の最初の創造を乗り越えて、別の世界を創っていった。人間としての幅、芸の幅を広げていった。彼のような才人は「複数創造、ゴマンと盗作」である。

つまりひとつを成し遂げることは、自分の道を狭めることでもある。成功した瞬間に自分を食い潰すことが始まるのだ。大野氏が言ったのは、進化とは実はそこに止どまるというアイロニーなのである。

だからなんなのさ?

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