ひとつ大仕事が終わった。といってもまだ入稿原稿ができた、というだけで、このあとは編集というありがたく、また厄介な作業が始まる。書き仕事は終わりが見えないものである。編集でも大量の鼻水と涙を流すだろうが(今年の花粉症は震災の年以来の苦しさです……)、入稿が印刷校になるまで気は抜けないし、印刷になったらなったで広めるというおおごとがある。放心なんかしているヒマはない。
しかしここまで2年半、作業に何百時間かけただろうか。1000時間は超えているかもしれない。やっぱりムリなのか、さっぱりダメなのか、きっぱりヤメるか…と100回は諦めた。今日は101回目の挑戦である。めげそうになっては立ち上がり、立ち上がっては立ち止まり、立ち止まっては叫んだ。「XXXXXXX!、XXXXXX!!」と夜空に向かって吠えた。伏せ字の内容は恨みつらみと自己批判である。しかしマア区切りがついたかと思うと、感慨一入(ひとしお)ですね。
この文を書けたことで、自分の残された人生の使命が見えた。何が見えたかというと……
書き方である。その書き方は編集者が引き出してくれた
あいさつがわりに拙文を送りつけて営業した先には、ほとんど無視されたが、一人だけ気に掛けてくれた人がいた。その人は「これ(サンプルに送った『ドクターの肖像』)が書けるのに、どうしてこっちの文はこんなにヘボなんだ?」といって「こういうふうに書きなさい」といった。そのように書くと「よくなった。だがまだまだ」といって、「この七か条に沿って書き直しなさい」といってきた。そのように1章ずつ書きなおして、今日最終章を送った。
自分は大した文才がない。だがこの書き方なら、自分の経験や知識を活かせるし、独自性も発揮しうることがわかった。良きにつけ悪しきにつけ、こういう表現形式は世間ひろしといえどもあまり見かけない。だからこの形式で、別のテーマをあと1つか2つ書きたい。
書けるかどうかは寿命次第。ぼくはからだが弱い…(^^;; 今回の仕事でけっこう弱まっている。これでお陀仏かもしれないし、もしもあと3年神様が生かしてくれたなら一つか二つ書けるだろう。私生活には夢がなくなったので長生きはしない。書くだけだ。ちょうど明日から新年度なので、ご報告をいたしました。
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