無定量•無際限に働ける根源

城山三郎の『官僚たちの夏』(新潮社1975)は、昭和三十年代の通産省を舞台にして、夜も昼もなく働く官僚たちの姿が描かれる秀作である。のちに次官となり“ミスター通産省”と呼ばれた風越信吾の得意技は人事である。あるべき組織人事を追求してやまない主人公もかなり働くが、輪をかけてよく働くのが、風越の7年後輩の“木炭車”といわれた庭野である。

昭和32年、重工業局次長であった風越は、得意の人事カードを切った。庭野を通産大臣秘書官に据えたのだ。

時の通産大臣は池内信人(実在の人物池田勇人氏がモデル)であり、大蔵大臣も歴任し、のちに首相になる大物である。大蔵大臣時代に「倒産した中小企業者の一人や二人自殺してもやむを得ない」と発言して不信任となった。その2年後、通産大臣になったとき、ふたたび「やむを得ない」と発言して不信任となった。3度目の登板である。

庭野はその秘書役に任命された。もはや抵抗はできない。人事発令は大臣任命の日の午後2時である。大臣が登庁するまでに2時間しかないー何をすべきか?

混乱した頭をかかえると「髪が伸びて」いた。そこで散髪に行ってスッキリした。大臣が出てくると、さあTV局だ、さあ料亭だと付いて回った。午後10時に市ヶ谷の私邸に送り届けて「やれやれ帰れるナ」と思ったら、池内大臣は言った。

「帰る?まだ俺が起きているのに帰るというのか」
「すると、わたしはいつまで…」
「いつまでなんてあるものか。秘書官は、無定量•無際限に働くものだ」

結局その日は大臣と酒を無定量に飲み合い、帰宅は午前様である。だが酒を飲みながら出た国民所得分析の話のレポートを大臣のために作らなければならない。2時間かけて作り、3時間寝て、朝6時半に大臣私邸に到着した。

本書にはこういう話がいたるところに出てきて痛快である。

しかし昭和人はほんとうによく働いた。余談だが、田中角栄元首相もずいぶん働いた。彼は「よっしゃ」と夕方5時から3軒料亭をハシゴして会談をこなし、10時には帰宅し、妻のご飯を食べた。田舎者なので東京の味付けが合わず、濃い味がよかったそうだ。11時に寝てから午前2時に起きる。翌日の答弁の勉強をしだした。その勉強資料は、秘書が夜な夜な準備しては、夜12時に目白の田中邸に投函していたのだ。

さて、今国会では「働き方改革」と称して、労働時間を減らすのか、逆に裁量労働を増やすのか、ちっともわからない議論になっている。どう働くべきか、骨というのか軸というのか、まったくみえない。だから小手先でデータをいじったのかもしれない。

思うに、なんのために働くか?が大事である。お金のためではない。会社のためでもない。名誉のためでもない。ひとことでいえば「大義」のために働くのである。

国をどうする、法律をどうするというのも大義なら、市場を変えるとか、消費者を救うのも大義である。能力の限界もあるので、ひとそれぞれの大きさでいいと思う。ただ、「それは大義である」と心から納得できなければならない。そうすれば、自分の命も指折り数えて、「どうせ人間は未病である。病気になって死ぬまで生きる体である。だからできること、すべきこと、お役に立てることをするのだ」と見切れるだろう。逆カウントをしてなすべきことをする。

そういう仕事なら、無定量•無際限にやって体も崩してきついのだが、やりがいがある。

うちは猫もニャマゾンで働いています…^^

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