英国のパブリックスクール

読み終えて目頭がじんと熱くなった。英国のパブリックスクールとはかくも気骨あふるるものだったのか。『自由と規律 イギリスの学校生活』は、慶應義塾大学教授であった池田潔氏の英国留学体験記である。

1920年から22年まで3年間、麻布中学卒業後の17歳の日本人が、英国ケンブリッジのリース•スクール(The Leys School)に留学した。「パブリックスクール」という名称からクセもので、公立ではなく私立校である。宗教改革の余波で設立した当時は「パブリック」の意味があったが、「伝統に対する愛着が強く、容易に新奇な事物に馴染めない国民性のため」、そのままになっているという。厳しい全寮制で門限はおろか、学期中はほとんど外出できない監禁状態で学ぶという。

『他に与え且つ己に取る』精神に基づいて、他人のプライバシーをも尊重する。己の激動した感情を露出することは、これによって他の感情の平静を掻き乱すことが多い。彼等の間に、感情の抑制を美徳として、その誇張を不躾とする戒律の生まれた所以である。

9万坪にたった220名の生徒の校舎とグラウンドと寮がある。日本の広い学校でもせいぜい2万坪だ。統率の中で勉学に励み、運動で協調性を育み、いかなるつらさもつらいとは言わない。一言でいえば「矜持」を叩き込まれる。学校はでかデカいが食事は少なく、食べ盛りがいつも腹をすかせて我慢し、たまの甘いものを貪り、毎日のように父母に手紙を書く。

全ページがおもしろいが特に気に入ったのは2つーひとつは校長である。

校庭で行き合った校長に顔色の優れないことを指摘されて、その理由を問われたことがあった。その朝受け取った家郷よりの消息に母の入院手術のことが書かれていたのである。そして全快退院の報があるまで、毎日、校長と(校長)夫人の慰問激励が続いた。しかもその後七年経って、父母がリースに校長を訪ねたとき、まず母に手術後の経過を尋ねている。このような例は一再に止まらない。

Bisseker校長は220名、すべての生徒のことを知り尽くしていた。もうひとつは、英語の教師L先生である。入学当初、英語が話せない池田少年のために特別授業をしてくれた。皆が寝る夜9時前に自転車でL先生の家に毎夜訪ねる。夜間レッスンだ。僕は感動のあまりこのくだりの全文を手で書き写したが、長くなるので要約しよう。

今夜も訪ねると「WOLF」である。Wの発音とLとRの発音矯正で、指を少年の口に突っ込んで、LとR、狼、狼、狼。これが11時半まで続く。終わると夫人がお茶を出してくれる。どうだつらかっただろう、健康はどうだ、家から便りはあるかと気遣ってくれる優しい先生にもどる。
吹雪が吹きすさぶある夜のこと、レッスンが終わって先生が言った。途中気をつけろ、狼が出るぞ、狼、狼、そして戸がバターンと閉まる。
ところが池田少年は道が暗くて植物園の脇の川に落ちてしまった。ずぶ濡れになって自転車は壊れ、先生の宅にもどりかけたが、やめて学校に自転車を引いて戻った。濡れて苔むした格好に寮長が気づいて、校長にもばれた。
翌晩、またL先生の宅でレッスンである。先生は言った。
誰でも失敗はある、それは責めない。だが寒中水に浸かって肺炎になったらどうする?なぜ私の家に来ない?寝てると思った?当たり前だ。なぜ叩き起こさない。ズブ濡れで倒れたら凍え死にだ。死んだら校長がお前の家に電報を打つ。親はなんと思うんだ。いいかこの地図を見ろ。お前はこの島からずーっと地球をまわって、この島に来たんだ。川に落ちて死ぬため来たんじゃない。勉強するために来たんだ。落ちたければ勉強の後にしろ。
そしてまたLとR、狼、狼、狼だった。とりわけ厳しいレッスンだった。帰りがけにL先生は戸口で言った。
狼と川に気をつけろよ。あ、犬という奴はよく喧嘩するね。相手に噛まれて怪我をする。弱い犬は尻尾を両足にはさんでキャンキャンとわめく。強い犬は黙ってじぃーっと自分の傷をなめている。お休み。

強い犬にならねば、と思った。こんな素晴らしい留学体験記は世界中探してもない。傑作中の傑作である。この本を教えてくれた大動脈解離の権威に、尻尾を振ってありがとうと言いたい。今日は文が少し長くなりました、すみません。では良い週末を。

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