幸田露伴の『努力論』に努力の根を学ぶ。

「どうしたら努力ができるか?」というくだりもあるが、それより「努力が生ずる根源」が語られている本である。

ある人に教えられて、文豪が明治41年から明治45年までに書かれた随想をまとめた『努力論』を読んだ。序文にこうある。

努力して居る、もしくは努力せんとして居る、ということを忘れて居て、そして我が為せることがおのずからなる努力であってほしい。そうあったらそれは努力の真諦であり、醍醐味である。

自己を新たにするために、他の優れた人に学べ、あるいはひたすら自分で新を求めよ、いずれも簡単ではない。なぜなら「今までの自己がよろしくないから新しい自己を造ろうというのであるのに、その造ろうといういうものがやはり自己なのであるからである。」と喝破し、努力を堆積い、幸福を惜しみ、分かち合い、育てなさいという。

本書には「幸福三説」という有名なくだりもあるが、僕は真髄は後半の章にあると思う。「四季と一身と」から「静光動光」「進潮退潮」に至る章には、努力の根源が描かれている。「四季と一身と」にはこうある。

春夏は四肢を多く動かす時は、目に見えて脳が発達するようである。そして春夏において体育を勤めた人は、秋冬において容易に脳を発達せしめるようである。

春夏に運動をすれば秋冬の精神発達ができる、春夏にやたらと脳を動かすと精神疾患になるというのは五月病や精神病のことである。四季に逆らわず生きろ、自然に逆行するなという思いは、「静光動光」で具体的な勧めをする。

温浴後の精神の爽快なるは血行の増進するために気の暢和(ちょうわ)を致すのである。血が動けば気が動く。気が動けば血が動く、血と気とは生ある間は相離れぬものである。(中略)是の如き道理で、気の散る習の付いている人は血行がよろしくない。

気が散って集中できない人は血行が良くない!これは自分だ(笑)血の巡りを良くすることは「変化すること」でもある。木が接木で生き返るように同じ状態では滞るから、新しいものを入れよ、という。とりわけ他章より長く読みづらいのが「進潮退潮」であるが、そこにもこうある。

人類に限らず他の動物でも植物でも、長く同一状態にある時は衰斃(すいへい)枯凋(こちょう)を来す道理がある。動物が同一状態を繰り返す時は、身体および精神の同一器質および機能のみが使用されるから、ある程度まで進歩するが、それから後は倦怠疲弊を致すを免れない。

新しいものを入れるとびっくりして生きようとするのだ。わかるような気がする。そうして変化の中でこそ努力できるのは、地球は燃えていた太古から地熱が冷えていくプロセスにあり、変化を繰り返しているからだという。1日に潮の満ち引きがあり、1ヶ月にも1年にもそれがあり、四季という進潮退潮が100年、1000年で繰り返される。つまり世界は永遠に同一状態でありえない。だからこそ、

血を以て率いる勿れ、気を以て率いよ、気を以て心を率いる勿れ、心を以て気を率いよ。

衝動で動くな、気分の上下で動くな、心のありようで体も気分も変わる。それがわかれば、人に褒められたい、勝りたい、高収入を得たいという邪念が消えて、真の努力ができる。そうありたいものである。

しかし今年は寒くてシモヤケがたまらんです。血行促進は足元から。

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