逆もまた順なり、順もまた逆なり。

僕を含めて今年、逆風だったエブリバデイにいいことを教えよう。

幸田露伴は『努力論』で、我々は順風が吹く時を喜び、逆風が吹く時を悲しみ、順でも逆でもない時は何も言わないものであると書く。そんなことではないと文豪はいう。

順風を悦ぶ人の遇(あ)っている風は、すなわち逆風を悲しむ人の遇っている風なのである。福ならずとせられるる風は、すなわち福なりとせらるる風なのである。してみれば福を享(う)くも、福を享けぬも、同じ風に遇っているのであるから、(中略)いわゆるめぐり合わせというものである。

なるほど。自分が逆と思う風は、相手には順なのである。自分が順な時は、誰かが逆の時なのである。

振り返れば僕は逆風だらけの1年だった。出版に至らない文を書き、完敗した連載記事もあり、何よりも去りゆく方がいて悲しかった。体調も万全からはほど遠く、栄養も悪いゆえ、ひところかなり痩せた。出処進退は極まり、モハヤ出て逝くところに出るのだと何度も思った。

しかし逆風の中にかすかに追い風もあった。出版に至らない文を「こう書きなさい」という神の声が届いた。書き直しに抵抗を受けたが、粘って粘って粘って貫いた。すると味方も増えた。まだ出版に至るかどうか予断を許さないが、全体にレベルは上がった。なぜ上がったかといえば、「何をどう読みたいか」読者側から書き直したからだ。そういえば講師の仕事もレベルが上がったのだが、それは教わる側、つまり生徒の立場に立てたからだった。

つまり、くるりと逆を向けた。逆さになれば逆は順になり、風向きは変わる。素直になることができればそれはできる。

また逆風による抵抗を少しでも和らげようと、髪の毛をすっぱり切った。いわゆる坊主、つるんつるんである。床屋通いが頻繁になりそうで、お財布には痛い。そこで1000円カットの理容室に行くわけだが、大晦日の今日も出かけた。ヤハリ混雑していて、受付台に名前を書いた。5人待ちを見て20分はかかると踏んで、営んでいるオンラインショップの御朱印帳キットの発送のため、遠くの郵便局へ逆風をついて自転車を走らせた。急いで理容室に戻ると、ちょうど僕の順番だった。

つまり、逆風はありがたく受ければいいのだ。

逆風だからこそ進むものにヨットがある。風を受けてジグザグと前に進む。進むためにはタックをして、帆の向きを変えてゆく。風をあえて受けて前にゆくわけである。受けるには受けられる心身の強さが必要であり、そのために規律、集中、忍耐という修練が求められる。

逆は悪いことばかりではない。どんな風もしょせん丸い地球で吹いている。ぐるりぐるりと誰にも等しく吹いている。むしろ追い風になった時こそ、ゆっくりゆこう。あおられて海溝に落ちるかもしれないから。

逆もまた順なり」。その気持ちでいきます。皆様もどうぞ良い年をお迎えください。

大晦日、まだ忙しい人へ、猫の手をどうぞ。

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