2017年11月17日
できた!
前のつぶやき日記を書いてから12日目、ようやく原稿に日の目が出た。
3日ほど前、一度出たかと思ったが、どうも出切らない。あそこが出ていないなあ…。すると、別件で杉浦“真の編集長”とある理不尽な事象でハゲしくメッセージをやりとりしている中で、出ていないところがよく見えてきた。そこが一番の難関と言えば難関であり、肖像の醍醐味と言えば醍醐味である。四方八方からこの医師兼研究者への最後の彫りを極めていった。昨夜というか今朝未明の2時前まで彫り書いた。あと1行残して寝た。するとー
今朝、降りてきてくれた。それを書けばいいのか!と。
あとそれを書いて、文字数オーバーを消しながら、ラストへゆく文の流れの整合性を取り、あれこれ修正を入れて出来上がりである。もうちょっとだ。長い道のりであった。事前に何冊も本を読み、本番のインタビューで成果が少なく、観察に観察を重ね、思索に思索を重ね、また本を読み、彼の年表まで書いた上で取り掛かった。良い文になったと思う。これを編集段階で悪文に改変されると非常につらい。改変を阻止できなければ暴れます。それだけ魂を込めた。
さあ、あとは仕上げだ。
2017年11月5日
わかる
次のドクターの肖像を書くために「年表」をこしらえた。10冊ほどの書籍や雑誌コピー数点、英文資料も含めたネット資料を読みまくり、必要な箇所を寄せ集めてA3サイズの紙に書き込んだ。けっこうな作業だった。しかし単なる年表ではこの人の姿が浮き上がってこない。さてどうするか…と思っていたら猫がきた。「遊んでー!」
遊ばないで心療内科プロジェクトのテープ起こしをした。元アスペルガーの方の追加取材のテープ起こしをしていると、治っていったきっかけはペットとのコミュニケーションだった。ネコと話すと私の人生も開けるだろうか。そうこうしていると、母子関係に問題があるパニック症の元患者さんから電話がきた。追加の電話インタビューをする予定だった。しかしなんて休日だ。疲れたのでネコろんでネコに身の上相談をした。人生の一大事の相談。話していると「あ!」と答えが見えた。わかった!わかったぞ!とうれしくなった。
人を描く執筆において一番大切なのは「その人をわかる」ことである。わかった上で書く。単にインタビューするわけじゃない。わかることがどれだけできるかが勝負である。年表を書いたあと「その人がわかる」にはどうするか?それは「シーン」をつくってゆこう。シーンを立ち上げてその人を語らせて、演じさせることができればいい。
たくさん仕事をする私にネコは呆れていた。しかし今夜は人生で最も大切なことを再認識できた。それは人をわかることだ、というとネコが言った。「私もわかって!遊んで!」ハイハイ。
2017年11月3日
肖像を描く新しい武器
ある人の下手なインタビューに効用があった。とてもインタビュー素材が使えないので公表資料を集めて書くと昨日書いたが、その書き方が見えた。シンプルで当たり前のことである。その人の年表を書くのだ。その人のオフィシャルな年表が骨子になるが、そこに業績、出来事や体験、言葉(発言)、そして社会背景など重層構造で書いてゆく。それは資料から抽出する。抽出するには物語の輪郭は必要だが、要不要を考えず書き出すのがいだろう。そして抽出したものにはつながりがある。つながりはタテにあり、ヨコにもある。だから人物を深く知ることができるだろう。この発想を得たことで大きく跳躍できそうだ。今回だけでなくこれからの執筆人生に役立ちます。下手な質問者に感謝します…アーメン。
2017年11月2日
文章万事塞翁が馬で
今回のドクターの肖像は、事情があって今までしてこなかった書き方をしようと思っている。それは公表資料から組み上げるという偉人伝のようなものである。過去には吉川英治や司馬遼太郎、立花隆らがしてきたことである。単に資料を収集、整理、分析するのではない。一本の信頼できる資料に筋を置いて(私の書く肖像ではひとつのスピーチになりそうだ)、その肉付けをしていきながら、背骨にどれだけ迫れるか。私にとっては文の実験である。これをマスターできれば、いずれ私が書きたい幕末の医人伝も書けるかもしれない。瓢簞から駒が生み出せるかどうかわからないが、試してみることは無駄ではない。文章万事塞翁が馬で。
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