わかる、とはどういうことだろうか。昨夜、ネコと見つめあってわかったことがある。こやつ目は閉じているが…
わかろうとすること、わかってもらえたと思うこと、わかり合うをやり続けること。「これだ!」とネコを見ながら私にわかった瞬間だった。
2年越しの心療内科医の本を書くプロジェクトで、心の病の人(とりわけコミュニケーションに障害があった)とのインタビュー録音を起こしをしていた。いくつかきっかけがあったにせよ、患者が良くなっていった最大の転換点は、医師に「わかってもらえた」ことにあった。病気のこと、父母のこと、学校のこと仕事のこと、人生のことをわかってもらえた。とりわけ飼っていた犬のことで話が弾んだ。犬はどうやったらなついてくれるか、上手く散歩できるのか、育てられるのかといった他愛もないことだ。しかし犬が好きな医師を話すことで、犬への愛情がどんどん湧いていった。それが心の病気に効果があった。これが実際の臨床現場である。
というのも、ペットとの関係に限らず「わかる」ことは人間関係でも一番キモである。相手をわかろうとすると、自分も相手も開いてゆく。わかってゆくともっと開く。わかってもらえたと思えれば癒しあうことができる。心の病気を持つ人には最初はなかなかできない。だからこそ、自分の興味のあるもの(犬やネコ)から語れる相手を見つけるべし。そこが突破口になる。医学的にも臨床的にも深い分野なので、先生の言葉を盛り込み、精神分析医カレン•ホーナイの本も再勉強しつつ書き込んでいきたい。
以上のことがわかってきたのだが、連載原稿の書き方はまだわかっていない。今回はとてつもない。さて、いつになったらわかるのだろうか。
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