私がコンサルタント職として働いていた会社を辞めたひとつの理由が、内部統制という誠にひどい仕事(内部統制というルールがひどいのではなく、内容の無い仕事を暴利でコンサルする会社の姿勢がひどかった)だらけになって、息が詰まったからである。
しかしここに来て内部統制が問題になる事案が2つ3つ新聞を賑わせている。日産自動車、神戸製鋼、スバル自動車ある。自動車では公的検査資格のないヒトが検査をしてハンコを押していた問題、製鋼では商品の検査データを改ざんして出荷していた問題である。
自動車の検査をどうやるかつまびらかには知らないが、基本的には機械検査であるはずだ。寸法、量、強度、温度、速度、排気物、音量などすべて数字である。機械で数値を感知し、それが基準通りかチェックするものである。未来工場ではすべてロボットがやる仕事なのである。基準を動かさない限り、ハンコは単なるお墨付き、だから日産でもスバルでも「そんなの大した問題じゃない」と言いたいのだ。要するにお役所のハンコルールが時代遅れなのである。未来工場で仕事を終えたロボットがヒトの机の前に並んで、ヒトがハンコを押すというSFアイロニーのあるシーンを思い浮かべてしまった。
一方神戸製鋼の例では、その検査基準をヒトが上下させていた。いくら機械が精密精確に測定しても、ヒトが基準値をコントロールしてしまうのでは、ロボットもお手上げである。偽装出荷と言われても仕方ないだろう。こっちのSFシーンは、ロボットが嘘をつくヒトを訴えるという未来法廷だろうか。陪審員はロボットとヒトが半々である。有罪無罪をめぐって「ヒトはそんなものだよ」とロボットが嘆き、「ヒトをバカにするな!」とヒトが反論するシーンを思い浮かべてしまった。
だからと言って日産もスバルも罪なし、というわけではない。どんなに形骸化している交通ルールでも守らなければならない。一方神戸製鋼の罪は重く、だから「結局内部統制が大切だ」という私が恐れる結論になりそうだが、ルールとは決めたその瞬間から形骸化を免れないものだ。毎朝の朝礼で、経営者とロボットと従業員が並んで体操をした後に、ルールを唱和するという未来会社を想像してしまった。
マア社会ルールなぞなんのその、という生き方をする私には関係のないことでござんす。
またたびボールをもらって狂喜する猫…
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