平静な心をもつために「リトル•ゴウ」を心に。

医師日野原重明氏の本から導かれて『平静の心 オスラー博士講演集』を読んだ。18講演のうち、冒頭の1889年の講演は心に残る。

内科教授のウィリアム・オスラー博士が、ペンシルバニア大学から、新設のジョンズ•ホプキンス大学に赴任する際の講演が『平静の心(Aequanimitas)』である。おそらく1時間に満たない講演は、平静な心とは何か、どうしたら身につけられるかがテーマである。まず「平静の心とは何か」から博士の言葉を書き抜こう。

沈着な姿勢とは、状況の如何にかかわらず、冷静さと心の落ちつきを失わないことを意味する。嵐のまっただ中における平静さ、重大な危機に直面した際に下す判断の明晰さ、何事にも動じず、感情に左右されないこと…

言われてみれば医師という職業人は冷静なタイプが多い。患者に告知をする上で、少なくとも表面上、うろたえていては商売にならない。患者を勇気付け、病に向かわせ、生活習慣を変える意見をしなければならない。だが博士が言うように、生来そういう気質を持たない人もたくさんいる。ではどうしたら「身につけられるか」、3つのポイントを博士は示す。

穏やかな平静の心を得るために、第一に必要なものは、諸君の周囲の人たちに多くを期待しないことである。

周りの人がどういう人であれ、何を言ってきても、怒りももたず反論しない。あてにしないことである。ツィッターで炎上意見をするなどもってのほか、SNSもほどほどがいい。それより本を読もう。博士は第二に「過去を見よ」と言う。

過去は常にわれわれと共にあり、決して消え失せることはない。過去は、本来、永久に続くものである。

とかく我々は現在の浮き沈みや、未来への理由なき期待や絵空事に心を奪われがちである。だからこそ過去の体験や、自分がそれを始めた原点を振り返りたい。そこから第三のポイント、「先達を思うこと」、今の言葉で言えばロールモデルを持ちなさいと博士はいう。

人生が下り坂に向かおうとも、
たとえただ一人残されようとも、
彼の魂は常の私の心にあり、
彼の人生の足跡は私の中に宿る。

英国の詩人テニスンの詩の一節を引き、恩師や恩人の存在を自分の中に感じて、彼らは自分に与えた心の漂流を留める影響を思う。恩師がいればいいですね。

これら三つで平静の心がすぐに持てなくても、一日一日、一歩一歩、一つ一つ、勉強や仕事や修行をすることで、あたかも研究者が真実を求めて実験ごとに断片を集めるように、そこに近づこうと博士は語る。

博士の考えを私なりにまとめると心に「リトル•ゴウ」を持つことだと思う。

サッカー選手の本田圭佑が「自分の中のリトル本田がそうしろと言っている」と語っていたが、たぶんそれである。自分の中に浮かせた自分を客観視できるもう一人の自分。「それでいいのか、リトル•ゴウ」(ゴウ=郷は私の名前)と小さな自分に訊く。リトル郷は微笑んで何も言わないかもしれない。それがたぶん答えなのである。

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