努力は先を見過ぎると欺瞞になる。
一歩一歩、一つ一つ、一文一文書いてゆくことが賢明である。
でっかいことをするぞ、ぜったい名人になるぞ、と思った瞬間、心にevil(毒)が忍び込んでくる。でっかくや名人がまだずっと先だからだ。そこには真空地帯が生まれ、evilが生まれやすくなる。やがて埋めがたきgap(隔たり)になる。
しかし一歩一歩なら、忍び込むスペースが小さい。一文字一文字書いてゆくと、空間も行間も少ないのだ。だからevilが入り込みにくくなり、心の中にsolid(固さ)が生まれくる。シモーヌ•ヴェイユは努力についてこう書く。
力を使いはたす努力もあれば、あらたな力を生みだす努力もある。後者の源泉はどこにあるのか。(2、真空と代償作用)
努力が過酷すぎるとそれは代償になる。人間が変形さえする。本来の使命から外れて別のことを使命だと感じて、そちらに軌道を変えて、そちらを運命だと考える。実際は代償という反作用なのである。そうならないようにずっと努力を続けるには、エネルギー源に別の感情を動員しなければならない。
おそらくそれが<恩寵>なのだろう。ヴェイユのフランス流のウィットで言えばそういう表現だが、ベタな言い方をすれば「社会のために」とか「誰かのために」ということになる。ともかく自分のエネルギー資源量に見合って一歩一歩、一つ一つ、一文一文書いてゆくことが賢明である。ということで昨日、今日は久々に写文修行をしている。
あまりにも雨が降り続くので、シモーヌ•ヴェイユ『重力と恩寵』を読みだした。
今の自分の心ならこの本の意味がわかる(わからないところもあるけれど)。折々、気づいたことを書いてゆきたい。
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