福翁自伝のベトナム語訳

前々回の「ASEAN留学生就活支援講座」で、福沢諭吉の「福翁自伝」を読んで日本に興味をもったという生徒がいた。昨夜の講義で私のもつ本書を持参してみんなに見せた。さらにインターネット上で見つけた一文のコピーを彼に渡した。

それは「福翁自伝」を翻訳した女性によるきっかけと苦労話である。奈良女子大学人間文化研究科に在籍したファム・ティ・トゥ・ジャンさんは、ある日図書館で本書を見つけた。読み出すと福沢の幼少時から青年期、晩年までの体験や考えが生き生きと描かれていた。これはおもしろい。ファムさんはベトナム人に本当の福沢諭吉と明治維新の意味を知らせたいと考えて、翻訳を決意した。

もちろん翻訳は難航を極めた。お読みなられた方ならわかるが、本書は120年前の古文であり、独特のリズムと漢字の読ませ方がある。外国人相手に「尊王」や「攘夷」の翻訳がむつかしいのはもちろんだが、もっと基本的な「家老」や「屋敷」さえイメージがわかない。「薩長」をどう解説したのだろうか。苦労の連続で翻訳には3年以上をかけたそうだ。

さらにファムさんが注目したのは、20世紀初頭に日本に訪れて武器の援助を求めた祖国の革命家ファン・ボイ・チャウが、福沢を「日本の大儒」、儒教的精神の愛国者と呼んでいたことを知ったことだ。もちろんこれは大きな間違いで、福沢はその正反対の価値観を持っていた。そこから理解がさらに深まり、気づいたことがあった。

福沢諭吉が一生の間、政治に対する関心が希薄で、「政治を軽く見て熱心ならず」とまったく功名心を持っていなかったことに気づき、私は衝撃を受けた。

福沢の言う「一身独立して一国独立す」は、国の真の独立は人間の心の独立からと説いていたのだ。権力にこびるな、呑まれるな。それはフランスや日本の支配下にあり、ベトナム戦争後共産国家となったベトナムにとって、100年を超える悲願である。ファムさんはそのことに気づいて翻訳をしたのだろう。

幸いにもけっこう売れたそうで、おかげで留学生から私もその本の存在を知ることができた。留学の価値とはこういうことだ。本とは読者の精神を何かから解放することである。実に素晴らしい話を知った。

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