昨夜は病のせいもあるのか、エゴ(利己主義)の心につつまれて寝付けなかった。ようやく正しい方に自分をゆり戻して起床した。昨夜のブログを書き直し、テスト入稿の原稿を仕上げた。メールで送ったあと、明日の講義資料をざっと見直して、これもメールで送った。
遅めの朝ごはんまでに仕事がスタスタと済んだのだが、肝心の医師原稿はまだ「どこから書き出すか」が見えなかった。全体を貫くキーワードは知っている。最後のフレーズも決まっている。ところが出だしが見えない。あかん。1時間も唸ったあと諦めて、洗濯をしていると、ふと降りてきた。そういう手があったかと思って書き出した。なんとかいけそうだ…が、いかんせん体(集中力)がついてこない。
咳はひどいし鼻水は止まらない。まだ頭痛眼痛も残っている。したがって少し書いては寝て、少し書いては寝てと、マサに正岡子規の病床の姿であった。午後、早々に原稿は諦めてコンビニ決済払いや買い物を済ませに出かけた。帰宅して書こうと思ったが横になった。休んだあと家計簿をつけようとすると猫がきた。それはないだろう。
やふやふと夕闇が深くなり、がんばってご飯を食べて部屋の掃除もした。横になったり起きたりしながらである。体力ゼロである。喉に潤いが欲して夜8時半過ぎ、外出した。路上で杖をついた老人がいた。歩いているのか退いているのかわからなかった。老人は「こんばんは」と言った。見ず知らずの人だった。私も「こんばんは」と返した。そこから50mほど先の、閉店間際のスーパーでアクエリアスを買って家に戻りかけると、曲がり角を少し入ったところに老人がいた。振り向いて会釈をくれた。老人よりも私の方が間違いなく病弱である。労ってくれたのだろう。会釈を返すと、老人は路地の暗がりに溶けていった。私もそこに溶けていくのだ。それはあるだろう、あんがい早そうだと気弱になっている。
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