仕事は無意識が選ぶ

ここ数日、原稿作業で逼迫していた。ようやく今朝10時15分に一息つけた。ぼんやりとyoutubeで昔のクローズアップ現代の医学者特集を観たり、贈呈された本をめくっていた。ふと宿題を思い出した。ある医療に関する連載の応募である。

一次選考にパスして課題が送られてきた。1500字書いて提出せよとメールにあった。ようやくその課題のテーマを考えるとすぐに4つ5つ思いついた。ああ、これなら書けそうだと思って、改めてメールの説明文を読むと、送られた日付の夜23時59分が締め切りだった。2日前でした…^^;; 送信元に謝罪メールを送り、紹介してくれた人にもメールした。どうもすみません。

縁がなかったわけだが、どうも連載は鬼門である。最近、これ以外にも1つ決まらなかった(文の力以外の理由であるが)。かつてビジネス連載も、ネタに逼迫してつらくなって辞めたものが2-3ある。その思いや苦しみが心のどこかで重しになって、忘れさせたのかもしれない。

ある賢人が「仕事は無意識が選ぶ」と言っていた。

その人の意識下に埋もれた記憶や体験が仕事を選ぶという。わかりやすい例では、人助けのボランティアをする人は自分が構われたいという願望が潜んでいる、というように。社会人最初のぼくの仕事は、企業や市場リポートを作成する仕事だったが、正直どんな会社かよくわからないまま入社した。大学時代、文を書くことを一度諦めていたのに、どこか諦めきれなかったのだろうか。

諦めきれないといえば、今取り組んでいる心療内科の文も、何百回も諦めかけてまだ粘っている。心療内科の先生には「よくここまで諦めませんでしたね。他のライターも作家もみんな諦めたのに」と言われたが、「ぼくは〝ドクターの肖像〟の連載を通じて、患者を救うことに諦めない医師たちをたくさん書いてきたので、それに影響されているのかもしれません」と返した。そこにも無意識の力が働いているのかもしれない。

そういえば贈呈された本は過去の医者の肖像みたいなもので、書評を下さいとメモがあった。医人への畏敬を書けと仕向けられているのかもしれない。仕事は選ぶのではなく選ばれるものなのだろうか。

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