観音菩薩と不動明王

子供が心の病気になったとき、いちばんの助けは医師だろうか?いや、お母さん以上に助けになるものはない。

お母さんはなんだろうか。ある人は太陽のようなものだと言った。ある人は大地のようなものだと言った。ある人は観音様のようなものだと言った。観音様、または観音菩薩とはどんなときでもずっと笑みを絶やさず、じっと見つめてくれる。どんな罵詈雑言や、どんな絶望の叫びをあげても、じっと聴いてくれる。どんなに涙をこぼしても泣くなとは言わず、泣きたいだけ泣きなさいと言う。

観音様が生身の人間つまり母だとすれば、母にはいろんな気持ちの起伏がある。調子が良い時もあれば悪い時もある。泣きたい時だってある。だが子供の前にきたら、観音菩薩になりなさい、何も言わずただ微笑んで聴きなさい、これが賢人の教えである。

ではお父さんはどうだろうか。お父さんのことまで賢人が教えてくれないのは、ハナっから役立たずだからだ。お父さんは月でもなく空でもない。社会的な生き物、組織の中の人形である。お父さんはとても観音様にはなれない。ではなんだろうか。

不動明王であろう(これは僕の説だ)。

燃えさかる炎を背にして、牙をむき、戦いの形相で剣を立て、悪魔たちをねじ伏せる。そんな父に子供たちは怖がって近寄らない。子に戦えとばかり命じるので子は逃げてゆくばかりなのだ。

自分になつかない子を見て、不動明王も反省をすることがある。怒ってばかりの自分を変えよう、もっと優しくなろうと願うこともある。だがそういう時も男は「生き方を変えよう」「人間関係をよくしよう」などと、力こぶの入った自己改革をしてしまう。だから子供はますます引く。

では不動明王は家族の中で救いがたい存在なのだろうか?「YES」である。それでは救いもへったくれもないので、ひとつ助言を。

優しいお顔の仏様をひたすら見よう。微笑む口元、和やかな目をひたすら見る。いつしか牙が落ち、目尻が下がり、笑みがこぼれるだろう。鏡像が反転するように仏が自分の顔に転写されるのだ。何ヶ月、何年かかるかわからないけれども…

ニャマゾンの尻尾…

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