生涯は1行

ドクターズマガジン『ドクターの肖像』、次号掲載の医師よりメールが編集部に入りました。

すごい、文章だと思います。とてもいいと感じました。
自分の話だから、かもしれませんが、生き生きとしていて。
文章が、体言止めだったりして、動きが伝わってくるようで。
(刷り上がりを)楽しみにしています。

先生、過分なお言葉ありがとうございます。素晴らしい仕事をする医師を伝えるため一生懸命書いています。ただ先生、体言止めは編集部が「文字数を減らすため」やっつけているところもあるのです。ココ重要です。

体言止めでふと思った。ぼくは体言止めで生きているなと。

体言止めの効果とは、読むリズムや意味の歯切れの良さを狙うもの。その文のイメージは、どことなく「唐突」であり「猪突」であり、よく言えば「きっぱり」がある。悪く言えば「礼儀知らず」「常識無視」というアウトローな感じもある。まとめて言えば、軽やかに生きたい、でも急速発進•急速停止の変人、それが「体言止めで生きる人」でしょうか。ほんとうは滑らかなエンディングを希望しているのに…できない人でもある。

これが当たっているならば、文の末尾で人を分類できそうです。

「です。」「ます。」で生きる人は、体言止め人よりずっと丁寧な人。
「…」で生きる人は、やさしいとも言えるし、歯切れが悪いとも言える。
「、」で生きる人は、いつも途中で止まる人。「。」まで行きつけない人。
「?」で生きるよりは「!」で生きたい気もするが、疑問を持つことも大切だ。
「&」愛する人と共に生きられば幸せだろうが、なかなかねえ。

人は生まれるとき「あたしは」「ぼくは」という主語を叫んで誕生する。育てられて学校で揉まれ社会で疲れ果て、述語や修飾語という経験や自信や劣等感を身につけて、接続詞で結婚や転職や離婚をして、誤字脱字という挫折や失敗もあるだろうし、文に短文や長文があるように、寿命にも長短がある。けれども最後は「。」というひとつの記号で終わるのです。

生涯は1行、そう考えれば楽になりませんか。やりたいことをやり抜こうと思えませんか。

クラフト紙の長いトンネルの向こうには猫がいた。

どんなトンネルも、遠目で見れば珍妙なものです…

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