だから、洗い続けて

ぼくは牛乳石鹸ユーザーである。ネットで話題の牛乳石鹸の動画を観た。

主人公のお父さんの気持ちはよくわかった。父と子、ひっかかるものをずっと持って生きてきた。言えなかったこと、伝えられなかったこと、感じられなかったこと、悔やんでいること、いっぱいある。

そこで思い出したのが本棚の『宮本武蔵』である。全6巻。前から函が壊れていたのが気になった。一番壊れている二つの卷を取り出して糊で補修した。この本は父の形見である。

こ汚い本の奥付には昭和24年3月初版とある。日本の敗戦後、作家吉川英治が日本国民を勇気づけようと無敵の武蔵の再出版にこぎつけた。1冊二百円は安くなかったが、活字に飢えた人びとは争うように買った。父もその一人だった。その本をないがしろにして申し訳ないが、こんなこ汚い本を捨てないで持っているぼくに感謝してほしいもんだ。

父よ、こんなぼくを生んで育てたことをぼくは恨んでいる。こんな寂しがり屋じゃなくて、どうしてもっときっぱりした子に育ててくれなかったのか。こんな子が仮初めにも親になり、仮初めにも扶養して、借りをつくりながらも、良い子に育ってくれたのは、超幸運としか言いようがないんだぞ。あんた、わかってるのか。

自分をえぐって直視して、父をえぐって思えば、牛乳石鹸の動画の深さがわかるってもんだ。子供の誕生日なのになぜまっすぐ帰らないか。なぜ明るく祝えないか。なぜ綺麗な奥さんを大事にできないか、わかる人にはわかる。そうしたいができないもどかしさがわかる。心がねじれた人じゃないとわからんのだよ。

でもだからあえて言おう。子供を祝えよ、奥さん大事にしろよ、演技でいいから。そっから変わるから。


ぼくがこの動画でまずいと思うのは「洗い流そ」という軽いコピーだ。そんなんで終わりっこない。父と子の間にあるものはかんたんには落ちないものがある。だから毎日、綺麗にするしかない。日々汚れるから、たゆまずせっせと綺麗にするしかない。強張った皮膚はかんたんに再生できない。そのつらい作業を優しくさせるチカラが牛乳石鹸にあると言えばいい。ぼくはコピーをこう読み替えたい。

「だから、洗い続けて。」

このフレーズは「続けなさい」という命令にも、「やるしかない」という絶句にも、「そうしよう」という希望にも読める。

どれにしますか?

ともかくぼくはシャワーを浴びて今日までのぼくをゴシゴシします。石鹸が無くなるみたいに無くなるまで…

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