パキラが授けるもの

毎朝起きるとパキラに水をやる。また枯れると困るので、手でパシパシと飛沫であげる。猫の水でやるので小さなエコシステムでもある。

やっているとおもしろい発見もある。

冬の間にほとんど落葉して、こりゃダメかと思ったが、夏になると生い茂ってきた。まるで過密電車、密集して働きづらい都会の人々で大変だ。葉と葉が重なるほどだ。水が一枚一枚に渡るように、下の葉を上に出してやる。

黄色くなる葉っぱはもうすぐリタイアである。シニアがよくするマフラーみたいだ。

穴の開いた葉っぱもある。虫か自己免疫疾患か。ぼくも穴を抱えて生きている。しかし向こう側が見えることは、開けっぴろげで良い人なのだと思うよ。

根に近いところから生える若い葉っぱは次の茎を作ろうとしている。まず、ここから生えること自体、気迫があり、覚悟の違いがある。

とはいっても今の枝ぶりもパイオニアがいたのだ。太い幹が3本中2本まで枯れて、残った1本も枯れかけた。枝という枝も、幹も途中からバッサリ伐って再勝負を賭けた。人生にはそんな転機もある。やがて木肌から芽が吹き、茎となり、枝になってきたのは運命とも言えるし、努力や偶然の重なりにも思える。いずれにせよパイオニアは今の青々と茂る葉っぱがあるからこそ守られ、育ってゆけるのだ。

かといっても、パキラにはハミだすような革命はない。なんといっても全ては一つの植木鉢で起きていることだ。あたかもぼくらが小さな地域や都会にこだわり、国せいぜい地球という惑星でやっているのと似ている。しょせんその中でのことなのだ。だから戦争なんて無益である。

革命的でなくても、小さな鉢のパキラは勇気をくださる。

枯れずに生きることで人を癒し、成長することで人をけしかける。パキラのそばのベッド上には、ぼくという弱き人がいる。ぼくを見守ってくださる。明日も生きようかと思える。


書いた後に見たら、黄色の葉が落葉していた。今日までの弱いぼくの身がわりだ。これからは青々となるぞい。

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