口内炎がひどく、人生の行方もモヤがかっている。眼痛もあるので、プロ野球の死球の話を読んで気分を紛らわせた。
中日ビシエド選手が昨日のヤクルトとの試合で死球を受けて尺骨を骨折、今シーズン絶望だという。その記事のコメントを読んだら、数週間前にやはり中日のゲレーロがやはりヤクルトの投手からの死球を受けて数試合休んだ、ヤクルトは中日に人的補償せよ、まあビシエドに匹敵する選手はおらんなと書いている人がいた。
よく見ているもんだが、ふと阪神のジーン•バッキー投手を思い出した。
1960年代、日本のプロ野球で100勝した名投手である。68年9月の試合で王貞治選手に死球を与えたのを思い出したのだ。調べてみると勘違いだった。事実はこうだ。
巨人ー阪神戦、4回表、2死2塁で打者は王。バッキーは2球続けて王の身体に向かってボールを投げた。王はマウンドのバッキーに詰め寄った。
王「危ないじゃないか。気をつけてくれ」
バッキー「辻(佳紀)さんのサイン通りインコースに投げただけ」
王「OK。分かった」
後日談ではこう話したとわかっているが、カッとなったのが巨人の荒川コーチ(王の師匠)で、マウンドに向かって一直線、バッキーに殴りかかった。両軍乱れての乱闘の末、荒川とバッキーが退場、しかもバッキーは殴った時に右手親指を骨折、荒川は顔に裂傷、4針縫った。カネヤン(金田投手)がバットを持って走ってきたと言われたが実はタオルだった(笑)。交代した阪神の投手が権藤正利で、彼が王の頭部に死球を投げた。また両軍入り乱れた。だが巨人監督の川上は「権藤がわざと投げるわけはない」と言って、飛び出した選手をなだめに行った。王は担架で運ばれ、次打者は長嶋茂雄である。スリーランホームランを放って試合を決めた。
バッキーは闘志むき出しのタイプで、しばしばマウンドのプレートに土をかぶせて隠しては、前に出てボールを投げたという。長島はこう言った。
「バッキーがいつもより大きく見えました」
男たちの物語である。バッキーはこの骨折で翌年近鉄に移籍、ひとつも勝てず(0勝7敗)引退。今年80歳、存命である。バッキーの視点から当時の日本プロ野球の熱を書いてみたいと思った。作文屋のちょっとした夢だ。マアまず今書いている医師と患者のドキュメントを終えないと。
先日作った和紙のがま口も存命中です。
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