今日(8/13)は今年亡くなった老人の誕生日だったそうだ。俳句をひねっていた老人のために、下手な句をひねろう。テーマは亡くなった年のお盆なので「死」だろうか。
向こう岸への道しるべ 盆ファイア
亡くなった老人宅のそばには川が流れていた。彼は向こう岸に行ったにちがいない。「盆ファイア」とはBonfire(家畜の骨をくべて焚き火にする英国の風習)に引っ掛けてみた。死者のヒトダマ炎があとにゆく人の道しるべとなる。これは老人に限らず、天国への新参者は、皆この勤めをするといわれている(我輩の説)。
忌中の塩をなめ 我が身を清め
今年亡くなった日野原重明医師は、著書で塩を忌むべきものを清めるためではなく、保存や清めという良い効果に使うものが原意だったと書く。私たちの命を生かすもの、長寿をいざなう塩という清めが、いつから忌めになったのだろう。
生は約束 死は義務と 言われても
日野原医師も先日お会いした医師も、はからずもなのか「死は義務である」という。生は持って生まれた運命だから天寿をまっとうせよ。死は生の一部であり、ゆえに義務のようにまっとうせよ。どうやらキリスト教の教えらしいが(定かではない)、ぼくはここまで達観できるほど人づくりができていない。むしろこうだ。
生きづらさも 死にづらさも いのちのうち
1字余りだが(^^)こちらの方が心情に近い。生きるも死ぬも愛のため、それで俳句をひとつと思ったが…
死は愛のはじまり
ここまで書いて後の言葉が継げない。まあこれだけでいっか、ご老人(^^:)いいかげんな句作でスミマセン。人と人というのは男と女に限らず、親と子でも、兄弟姉妹でも、上司と部下はもちろんうまくゆかないものだ、だがあの世では霊魂となれば生身がないので、ストレスもなく、ゆらゆら良好な関係を築けるのではないか。
猫をサカナにさかずきを のみ干して
この老人は一人暮らしで猫を飼い、よく家で一杯やっては巨人軍の応援をし、猫に柿の種やおでんをご相伴させた。あの世でもやっているに違いない。我輩も同じ境遇、遠からず同じ運命である。我が猫をなでながら、
かんぱいにゃ。
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