夏になると原爆や戦争のことを読む習慣はぼくにはないけれど、今夏はこれを原作にした映画が封切られたこともあって手にしたのが、島尾ミホの『海辺の生と死』である。
作家島尾敏雄の妻である。島尾敏雄の作品も記憶の底だが、妻の名作を読んでいなかったことに気づいた。ミホは鹿児島県奄美群島加計呂麻島に生まれ、巫女さんになるはずだったが、敗戦色濃い1944年10月、島尾敏雄第十八震洋特攻隊隊長が島の呑之浦に駐屯したときに運命が変わった。当時を書いたのが本書の『特攻隊長のころ』という一編である。出だしを引用しよう。
彼が戦いの中にあった時、私もまた彼に近い場所で戦争に巻き込まれていたことを思い返し、私は激しい波立ちに襲われ、眩めくその日々の中に立ち戻り、ペンを持つ指先は憑かれたようにその戦いの中での彼を捉えかねて原稿用紙を上走ろうとしています。
この書き出しから彼女の鼓動が聞こえる。次のくだりからは地文(叙述文)で話が語られる。要約しよう。
これまで島に来た軍人はカトリック教徒を迫害し、威張ってばかりだったので、どうなることかと思ったら、特攻隊長は丁寧で親切で、軍隊用語もなかった。重い荷を担ぐ老婆を労わり自分の背で担ぎ、子供たちと手をつないで唱歌を歌って山をゆく青年だった。ハブに噛まれた島の人を助け、爆撃が激しくなると集落を助けた。島尾隊長は良き軍人の代名詞になった。だが1945年になると沖縄は陥落、特攻隊はいよいよ出陣し、島民は集団自決するしかなかった。特攻命令は13日に下ったが待機のまま15日を迎えた。隊長は9月1日、島民に見送られて、小さな発動船で部下と共に入江から去ってゆく。
前半は島尾隊長を仰ぎ見る眼差しが感じられて微笑ましい。しかし後半は「集団自決」「兵舎近くのコの字型の隧道」といった文字が混じって、ミホの心はずいぶんと波立ってゆく。それをしっかり書いたところがこの随筆の第一の価値だと思う。真の価値は最後のくだりを読むとわかる。
あれから20数年の年月が過ぎていきましたが、島の人々はいまだに島尾隊長の思い出を語る会を持ち「島尾隊長の歌」を歌って当時を偲んでいます。そして私の夢の中にもしばしば島尾隊長が現れてきて、私の夫を悩ませているようです。
最後の一文が実にいい。この随筆は、最初と最後に作者の気持ちを書いて、物語をサンドイッチしている。気持ちで事実を包み込むことで、物語も生き生きし、気持ちからは書き手や登場人物そのものが伝わってくる。この構成はなんとも素晴らしい。原稿作成で、最後の一行に何時間も悩んでいるぼくに福音となるだろうか。
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