昼間、高層建築ばかりの辺鄙な住宅地を歩いた。原稿を考えていた。
2/3まで書いたが、量ではなく内容だ。しっくりこない。つながりが弱い。深みがない。人物理解を深める3ポイントを挙げた。それを書いてゆこうと決めたのに、そのポイントを思い出せないというアホさ(出先で原稿もメモがない)。そんなんだからダメなのだ。
ひとつにしよう、と思ったら、ふっと解が降りてきた。ぱらぱらと他の要素がつながっていった。
世界を見回しても、ここまで脳をいためつけてインタビューを書く人は少ないぞ、ホント効率が悪いったらありゃしない、と自嘲自賛である。
しかしかくも人を理解するのはむつかしい。とくに発言(のうわべ)だけをなぞると騙される。なんとかその含蓄の先にゆきたい。そのひとつの方法論が「行為や行動からはその人が見える」である。どんなことにもその人の意思や性格、無意識が反映されているものだ。たとえば、高層建築から戸建て住宅地に入ると、こんな表示があった。
日頃、チロを可愛がって頂きありがとうございます。
只今、皮膚病の治療中です。
人間の食べ物は与えないで下さい。
「食べ物を与えるな!」と檄文ではなく、ありがとうから入っている。「餌はダメ!」と禁止でなく理由がある。優しく賢い飼い主が見えてくる。人懐こいチロも見えてくる。ペットを見れば人(飼い主)が見える。
うちは双方寂しがり屋である。
寂しがり屋で、嘆きごと屋で、ひとりごと屋である。お前を通じてぼくがわかる。ぼくを通じてお前がわかる。文章を書くことを、こうして歩きながらも深めている。効率が悪いんです…と締め切りを意識しながらひとりごと…(^^; さてもうひとがんばり。
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