言葉の保管所

読まれて、貯められて、人の力となる現代詩人でした。

シンガーソングライターのmimoさんから教えられた詩は『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』だった。茨木のり子氏は19才で第二次大戦の終戦を迎え、〝いちばん綺麗だった時〟に荒廃した国土で過ごしながら、読み人を励まし、自分を鼓舞する詩を綴ってきた詩人である。ぼくが初めてこの詩人に触れた本は、詩人の高橋順子氏が精選した詩集で、代表作36品が収められている。それぞれに高橋氏の気の利いた解説があり、背景や真意をたどることができる。

心にしみたのはmimoさんの好きな表題作のほかに、数点ある。

『この失敗にもかかわらず』は裏の家の大学生が英語で、おそらく〝Despite this failure〟と言った後に日本語で「この失敗にもかかわらず…」と繰り返し言っては止まるのを聞いた。きっと失恋の痛手を思って止まるのだろうと作者は微笑み、ならば私が原文のあとを続けようと詩をつくった。

この失敗もかかわらず
私もまだ生きていかねばならない
なぜかは知らず
生きている以上 生きものの味方をして

『ぎらりと光るダイヤのような日』は人が60年か70年生きる一生のなかで、いろんな目にあって、いろんな体験をして、世界に別れを告げる日に「本当に自分らしく生きた日がどれだけあったか?」と問いかける。ぎらりと光るダイヤの閃光のような日が、いつ、いくつあったのか。ぼくらはそのために生きるしかない。

『答』という詩にはその答えがある。全文をのせてしまおう。

***

ばばさま
ばばさま
今までで
ばばさまが一番幸せだったのは
いつだった?

十四歳の私は突然祖母に問いかけた
ひどくさびしそうに見えた日に

来しかたを振りかえり
ゆっくりと思いめぐらすと思いきや
祖母の答は間髪入れずだった
「火鉢のまわりに子供たちを坐らせて
かきもちを焼いてやったとき」

ふぶく夕
雪女のあらわれそうな夜
ほのかなランプのもとに五、六人
膝をそろえ火鉢をかこんで坐っていた
その子らのなかに私の母もいたのだろう

ながくながく準備されてきたような
問われることを待っていたような
あまりにも具体的な
答の迅(はや)さに驚いて
あれから五十年
ひとびとはみな
搔き消すように居なくなり

私の胸の中でだけで
ときおりさざめく
つつましい団欒(だんらん)
幻のかまくら

あの頃の祖母の年さえとっくに過ぎて
いましみじみと噛みしめる
たった一言の中に籠められていた
かきもちのように薄い薄い塩味のものを

***

人は誰しも何度も思い返す情景がある。それにすがって生きる人もたくさんいる。けっしてドラマチックなシーンではなく、ありふれたものかもしれない。だが幸せとはたぶんそういうものなのだ。

茨木氏は『花ゲリラ』の詩の中で、「言葉の保管所は お互いがお互いに他人のこころのなか」とうたった。言葉は投げた人から人へ伝わり、こころという保管所にためられていく。そういう力になれることばをひとつでもふたつでも書いてゆきたい。

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